洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

大戦末期の洋酒本と謎のカクテルブック

大戦末期の大連で発行された「酒の話」  一昨年の9月に「モダン・ガールは何を飲んでいたのか」でスタートした連載も、早いもので80回を超えた。スパイ・ゾルゲが愛したカクテル、横浜に明治7(1874)年に上陸し、曲芸のようなフレアで供されたカクテル、昭和11(1936)年に出版された戦前の頂点となる「大日本基準コクテール・ブック」。――一つひとつの原稿への思い出は尽きないが、いずれも現時点で集められる […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(12)

富士屋ホテルの専務取締役山口正造が、失火直後の帝国ホテルの支配人として呼ばれて着任した10カ月間の間に、世界一周旅行団が日本にやって来ることになった。その歓迎式典のためにマウント・フジを考案したのが、東亜ホテル(神戸)から来たチーフ大阪登章であったはず、というのが前回までである。問題はこの後だ。 考案者と発祥地が分かれた結果  山口はウォルドルフ・アストリア(The Waldorf-Astoria […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(11)

筆者がこの十年余にわたって帝国ホテル版マウント・フジの謎に挑む過程でまとめてきた「帝国ホテルバーテンダーの系譜」をお目にかける。基本的な資料は今から半世紀以上前の日本バーテンダー協会会誌「ドリンクス」だが、これにさまざまな資料で見つけた事実を加えている。 帝国ホテルの戦前の歴代バーテンダー  最も古い記録として残っている帝国ホテルのバーテンダーは、1959年に5人目のミスター・バーテンダー(※)と […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(10)

 明治7(1874)年、アメリカ西海岸のヴァレーホ(Vallejo)から横浜にバーテンダーがやって来た。英字紙によれば2つのホテルに1人ずつ別々のバーテンダーが来たことになっているのだが、掲載されたイラストを見る限りこの2人は同一人物の可能性が高い(「横浜・カクテルことはじめ」(4)明治7年横浜のフレア・バーテンディング参照)。 帝国で考案し富士屋へ持ち帰った  このカラクリは、電信のない時代に、 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(9)

伝えられるところでは、犬丸もまた鼻っ柱が強い性格だったようで学生時代に大学とぶつかっており、長春には犬丸が恩師の紹介で入ったとも伝えられる。それにしても、人に頭を下げることが苦手だったと言われる犬丸にふさわしい仕事は他にあったようにも思うのだが、よりはっきりした資料も持ち合わせていない筆者としては、犬丸は東京高商を卒業後、長春ヤマトホテルに入社したという事実だけを受け入れるより他ない。 ホテルマン […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(8)

筆者の手元に、富士屋ホテルとカクテルのかかわりを示す興味深い資料がある。「回顧六十年」(富士屋ホテル・昭和13年刊、山口堅吉著)の資料編にある明治40(1907)年頃、つまり富士屋ホテルの経営が仙之助から正造に替わった頃のワインリスト(ドリンクメニュー)で、ここには「ジン・カクテル」「ウイスキー・カクテル」とはっきり記載されている。 二度のアメリカのホテル事情視察  筆者が所有しているさまざまなワ […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(7)

金谷カテージ・インの創業からややあって明治11(1878)年、箱根・宮の下に開業した富士屋ホテルは、そのルーツを元治元(1864)年に開業した外国人向けの娯楽施設「神風楼」(横浜)に辿ることができる。富士屋ホテルの初代山口仙之助は明治18(1885)年の改築でホテル内に酒場(バー)を設けた他、当時はまだぜいたく品だったガラスを多用して採光に意を使ったラウンジを作るなど進取の気象に富んだサービスが外 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(6)

改めて調べてみると、富士屋ホテルは旅行など滅多にしない筆者が思い込んでいたような“どこの温泉地にもあるご当地ホテル”などではなかった。明治11(1878)年創業の後も、外国人向けのリゾートホテルとしてさまざまな新機軸を打ち出している。また、立教大学に観光学部が発足したのは、3代目オーナー山口正造の遺志による寄付講座からだという。 どちらかが盗用というのはあり得ない  これほど品格のあるホテルが帝国 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(5)

さて、目先を変えて帝国ホテル版マウント・フジのレシピから探索を続けよう。 クリームとレモンジュース  ミキシング・グラスに氷とベルモットを入れて掻き回し、ジンを加えたものをカクテルグラスに注いでオリーブを一粒浮かべさえすれば、味の善し悪しはともかく、マティーニは出来る。ウイスキーにベルモットを注いでチェリーを飾ればマンハッタンと呼べるカクテルも出来ないことはない。必要なものは洋酒と氷である。  と […]
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(4)

大正時代に世界一周旅行が企画できる旅行会社は、トーマス・クックとアメリカン・エクスプレスの2社を中心に、レーモンド・ウィトコム(ホイットカム)社、クラーク社を含めても4社に過ぎなかった。 大正13年の世界一周旅行団の記録はあるが  当時の通信手段は電信である。世界中の港や観光地に電信一本で人数分の宿泊先と食事を手配し、受け入れ態勢を準備させるわけだから、そこでは信用と実績がものを言う。たとえ資本力 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(3)

さて、帝国ホテル版マウント・フジの発祥についてしばしば語られてきた、1924年の世界一周旅行団について考えてみよう。 誰にでもできる種類のものではない旅行 洋の東西を問わず、戦前の庶民にとって海外旅行が高根の花であったことは、拙稿でも「VI 女性バーテンダーのさきがけ(1)欧米編」をはじめ折に触れて伝えてきた。海外旅行が今でいう宇宙旅行なら、世界一周は冥王星への旅に近いと言っても過言ではないほど、 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
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X 帝国ホテルのマウント・フジ(2)

初代帝国ホテル竣工までの事情に関しては「帝国ホテル百年の歩み」に詳しいが、現在残されている設計図と当時の報道には不思議な齟齬がある。 図面に書かれなかったバー  ドイツ人技師の軟弱地盤に対する対応不備のため、ピンチヒッターに立った渡辺譲が1カ月の突貫作業で書き上げた当時の設計図には「皿洗場」から「給仕人詰所」まで記されているのに「酒場」の記載がない。ところが、11月7日にオープンしたばかりの帝国ホ […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(1)

マウント・フジを、日本を代表するカクテルの一つとして御存知の方も多いだろう。昨年拙稿で取り上げたラムベースのJBA版マウント・フジ(IV 赤くなかった“赤富士”)の方がカクテルブックでは一般的だが、ジンと卵白を使用する帝国ホテル版があることも、かなり広く知られている。 マウント・フジの完璧な誕生物語  日本を象徴する霊峰「マウント・フジ」(富士山)と、戦前から長きに渡って海外から日本への表玄関とな […]
洋酒文化の歴史的考察
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IX ジントニックの現在・過去・未来(9)

戦後になっても日本ではほとんど知られることのなかったジントニックを、若者が口にするスタイリッシュなカクテルに持ち上げた二人の作家とは、片岡義男と山田詠美である。 1980年代の若者文化に含まれたジントニック  さまざまなカクテルを若い男女の会話の小道具にした片岡義男の「湾岸道路」(1982年)、山田詠美の「放課後の音符」(1989年)に、ジントニックはオシャレなカクテルとして描かれた。片岡の場合、 […]