そば切りは、かつては蒸して調理したのだという。生粉打ちは折れやすく、麺線の長さを保って茹でるのが難しい。二八など小麦粉を合わせて打ったそばなら茹でやすく、茹でるほうが早くできて効率がよいので、店売りではそれが発達した。
茹でたそばを蒸籠に盛るのは、そばを蒸した名残りとか。ざるそばは、だから浮世っぽく、即物的なニュアンスがあったのだろう。
ところが茹でると、香りやルチンなどいいところがお湯に流れてしまう。それでそば湯を飲むようになった。
そば屋さんは、お客にそば湯を飲んでもらって、高栄養の排水をなるべく減らしたほうが、環境によいはず。最近は立ち食いそばでもそば湯をポットで出すようになっているけれど、利用している人はさほど多くない。
立ち食いそばで、なぜそば湯を飲まないかというと、そば猪口に汁(つゆ)をたくさん入れてくれるので、そばを食べ終わった後、そば湯を入れても辛くて飲めやしないからだ。
汁は少なめに提供したほうがいい。サービスステーションで注ぎ足しができるようにしていれば、「ケチ」と言われることもないはず。大盛りにそば猪口ではなく椀で汁を付けるのも意味がない。
注いだものが全部胃袋に収まるしくみにすれば、排水溝へ行く汁と湯を減らすことができる。
そば湯で消費される量などたかが知れていると言うかもしれない。いやいや、徹底的に飲んでもらったほうがいいのだ。なにしろもったいない。
ついでに言うと、ラーメンも、これからはつけめんを標準に考えたほうがいいはず。丼のスープを飲み干すように薦めれば、塩分過多となってお客の健康を害する。残されると、高栄養・高脂肪の排水を増やし、環境への負荷を高める。そういう厄介な代物を、莫大なコストをかけて日々生産しているというのが「何かヘン」と思う感覚は大事なはず。
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。