バーチ(白樺)ウォッカ飲み較べ。左がNemiroff社製「バーチ」、右がOmskvinprom蒸留所の「ホワイトバーチ」。
小売・外食

バーテンダー諸兄に贈るFOODEX JAPAN 2013洋酒レポート(3)

白樺ウォッカ「ホワイトバーチ」  昨年はネミロフ社の白樺ウォッカ「バーチ」(白樺)を取り上げたが(参照)、今回はシベリアの蒸溜所で作られた白樺ウォッカを会場で見つけた。多くのロシア人にとってシベリアは心の故郷であり、白樺はロシアを象徴する木だからまさに「ロシア人による、ロシア人のためのウォッカ」と言っても過言ではないと思う。  ウォッカで味の決め手になるのは原料となる穀物もさることながら、水と隠し […]
近く60度が販売されるコーン・ウォッカ「LUXURIA」。
小売・外食

バーテンダー諸兄に贈るFOODEX JAPAN 2013洋酒レポート(2)

“ケーキ”風味の透明ウォッカ「UV」  ワインで有名な やまや がかなり冒険的なウォッカを販売している。ベースとなっているのはブランド名「UV」というアメリカ・ミネソタ州のウォッカで、1950年代からフレーバー・ウォッカを作っているメーカーからの輸入品。日本に輸入されるのは「UV」の19種類のラインナップの中の10種類で、とくに目を引くのが“ホイップクリーム”風味、“ケーキ”風味、“チョコレートケ […]
小売・外食

バーテンダー諸兄に贈るFOODEX JAPAN 2013洋酒レポート(1)

「FOODEX JAPAN 2013」が3月5日(火)~3月8日(金)の4日間、幕張メッセで開催された。今年は66以上の国・地域から食品・飲料メーカー・商社など2544社が出展した。来場者は7万5000人(開会時見込み)。昨年に続いて、今回もバーテンダー視点に立ち、2日間に渡って広大な会場を駆け巡った筆者が見つけたアイテムをご紹介する。 海外のリキュールとスピリッツを視察  ことウイスキーに関して […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(3)

さて、帝国ホテル版マウント・フジの発祥についてしばしば語られてきた、1924年の世界一周旅行団について考えてみよう。 誰にでもできる種類のものではない旅行 洋の東西を問わず、戦前の庶民にとって海外旅行が高根の花であったことは、拙稿でも「VI 女性バーテンダーのさきがけ(1)欧米編」をはじめ折に触れて伝えてきた。海外旅行が今でいう宇宙旅行なら、世界一周は冥王星への旅に近いと言っても過言ではないほど、 […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(2)

初代帝国ホテル竣工までの事情に関しては「帝国ホテル百年の歩み」に詳しいが、現在残されている設計図と当時の報道には不思議な齟齬がある。 図面に書かれなかったバー  ドイツ人技師の軟弱地盤に対する対応不備のため、ピンチヒッターに立った渡辺譲が1カ月の突貫作業で書き上げた当時の設計図には「皿洗場」から「給仕人詰所」まで記されているのに「酒場」の記載がない。ところが、11月7日にオープンしたばかりの帝国ホ […]
明治23年に開業した初代の帝国ホテル(画・藤原カムイ)
洋酒文化の歴史的考察

X 帝国ホテルのマウント・フジ(1)

マウント・フジを、日本を代表するカクテルの一つとして御存知の方も多いだろう。昨年拙稿で取り上げたラムベースのJBA版マウント・フジ(IV 赤くなかった“赤富士”)の方がカクテルブックでは一般的だが、ジンと卵白を使用する帝国ホテル版があることも、かなり広く知られている。 マウント・フジの完璧な誕生物語  日本を象徴する霊峰「マウント・フジ」(富士山)と、戦前から長きに渡って海外から日本への表玄関とな […]
洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(9)

戦後になっても日本ではほとんど知られることのなかったジントニックを、若者が口にするスタイリッシュなカクテルに持ち上げた二人の作家とは、片岡義男と山田詠美である。 1980年代の若者文化に含まれたジントニック  さまざまなカクテルを若い男女の会話の小道具にした片岡義男の「湾岸道路」(1982年)、山田詠美の「放課後の音符」(1989年)に、ジントニックはオシャレなカクテルとして描かれた。片岡の場合、 […]
洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(8)

トニックウォーターと言うと、洒落たバーに入ってきたビジネスマンがジンと合わせて一杯目に頼む、スタイリッシュな飲み物というイメージがある。その延長から、日本に入ってきた時期も戦後になってから……と思う人も多いだろう。筆者も、ジンはともかく、トニックに関しては最近になるまでそんなイメージを持っていた。 幕末に上陸したトニックウォーター  しかし、さまざまな資料に当たってみると、トニックウォーターをはじ […]
スイング・トップ
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(7)

戦前のバーはさまざまなジンを揃えていた  戦前、とくに昭和10(1935~)年代に入ってからの日本には現在でも驚くほどのバー文化がカフェーやホテルを舞台に花開いており、現代のバーも顔負けのラインナップが亀屋鶴五郎商店(※1)や明治屋(※2)には並んでいたことに拙稿では触れてきたが、ジンのラインナップからもその華やかぶりがわかる。  ゴードン(ギロン商会)、ギルビー(イースタン・トレーディング)、ビ […]
出島時代のオランダのジンボトル
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(6)

家宝にさえなった“量産品”  コンプラ瓶が江戸時代に日本酒と醤油の輸出に限って使われていた“日本からの輸出限定瓶”だったのに対し、ケルデル瓶は外から日本に持ち込まれる瓶である。また、用途はジュネバに限らず、ロンドン・ドライジンやバーボン、ウイスキー等の輸送にも使われていた。  当時としては近代的な大量生産システムで作られたケルデル瓶だったが、日本では“量産品”としてはとらえられていなかった。そもそ […]
イベントを楽しむムードは他のスピリッツの試飲会等とは明らかに違う(写真提供:日本テキーラ協会)
小売・外食

「テキーラフェスタ2012」主催者予測を上回る盛況

日本テキーラ協会(東京都港区、林生馬会長)は、12月16日、「テキーラフェスタ2012」を東京豊洲の「カフェハウス」で開催した。2008年7月に発足した同協会の初めての全国的なイベントで、協会の予測を上回るおよそ400人が来場した。  テキーラを使ったカクテル・コンペティションも行い、北は札幌から南は福岡まで全国から集まったバーテンダーによる6チームが競作。江刺幸治さんをリーダーとするチームDの作 […]
デカイパー社の復刻ジュネバ
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(5)

 古来、人間は液体を運ぶためにさまざまな道具を使ってきた。筆者は今回ジンについて書くまで「洋酒は現在のガラス瓶と変わらない形の瓶に入っており、例外的に昔のジュネバは茶色い陶器瓶、ウイスキーはストーン・フラゴンと呼ばれる釉薬をかけた陶器瓶に入っていた」くらいの知識しかなかった。それまで何度か博物館などの資料で「昔の洋酒瓶」という写真は見てきたものの、その時代による推移に気付いたことはなかったわけだ。 […]
ヘンドリック・ヅーフ
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(4)

1803年に長崎のオランダ商館長としてヘンドリック・ヅーフが着任した時代は、オランダという国自体が存亡の危機に立たされた苦難の時代だった。そのなかにあって生活に困窮しながらもオランダ人としての誇りを最後まで失わなかった彼に、当時の日本人も敬意の目を注いでいたことを前回は説明した。 監視役の庭にあった材料 「何かヅーフの力になれることはないか」そう強く思った日本人の一人に茂伝之進がいた。  長崎奉行 […]
洋酒文化の歴史的考察
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(3)

日本におけるジンの物語を始めるためには、いささか酒の話からは脱線するのだが、江戸幕府時代のオランダ商館長(カピタン)ヘンドリック・ヅーフ(Hendrik Doeff)の話から始めなければならない。 出島に取り残されたヅーフ  アムステルダム生まれの彼は寛政11(1799)年にオランダ東インド会社の書記として日本に着任するのだが、彼が初めて訪れて実際に目にした日本のオランダ商館は沈滞のただ中にあった […]
ジン横丁
洋酒文化の歴史的考察

IX ジントニックの現在・過去・未来(2)

ジンの歴史は蒸溜技術を人間が知った頃からさほど時を置かずに始まっているので、その“創世記”には学生時代にしか縁のなさそうなヨーロッパの王様の名前や事件がひょいひょい顔を出して面喰らう。ここで細かいジンの足取りと成長過程を調べていると、いつまでたっても日本にたどり着けなくなるので、19世紀にジンとトニックが邂逅を果たすまでを駆け足で簡単に見ていこう。