名月を愛でる中秋節(ジュンキウジー)は東アジアの伝統的な行事である。中国を起源とし、旧暦の8月15日に行われる。
一方、中国の建国記念日である国慶節は新暦の10月1日である。例年その日から7日間が国慶節連休となっているが、2020年の中秋節が10月1日で重なり、特例として1日〜8日までの8日間が連休となる。
中秋節はなぜ旧暦で決まるのか
これら2つの祝日がなぜ異なる暦に基づいて定められているのだろうか。それを理解するために、新暦と旧暦の違いを説明しよう。
新暦とは現在広く使用されているグレゴリオ歴を指し、太陽を基準にした太陽暦である。平年を365日とするが、通常4年ごとに閏日(うるうび、じゅんじつ。正確には400年に97回)を設けることにより、実際の太陽年(春分から次の春分までというように、太陽の見かけの位置が同じになるまで1周する周期。365.242189日)とほぼ一致する。
旧暦とは新暦以前に用いられていた暦であり、東アジアでは太陰太陽暦(たいいんたいようれき)を指す。
文明の発祥とともに、暦(こよみ、れき。カレンダー)は作られた。多くの文明で、最初に作られた暦は月の満ち欠け(朔望)を基準にした太陰暦であった。太陰とは月のことである。
朔望の平均周期は約29.5日である。そこで、小の月(29日)と大の月(30日)それぞれ6回とすると354日になるから、この周期を1年(太陰年)とする。
ただし、太陽年に比べて11日少ないため、そのままではだんだん季節がずれていくことになる。そこで、およそ3年ごとなど適宜閏月を設けて(その年は1年が13カ月となる)、ズレを補正した。これが太陰太陽暦である。
さて、ここまでの説明から、中秋節をいつとするかを旧暦で決めることは必然であることをご理解いただけるだろう。中秋節は空気が澄む秋季の満月の日である。その日は太陽暦では決めようがなく、当然、月の満ち欠けに基づく太陰暦によって定まるということになる。太陰暦の1日は満月だ。
日本でも、祭りに関する日にちは旧暦に基づいて定めるように再考すべきではないだろうか。たとえば七夕である。新暦7月7日は多くの地域が梅雨の真最中で、織姫と夏彦が会えるのは僥倖でしかない。仙台の七夕は旧暦に基づくのではなく月遅れの8月6〜8日に開催されるが、これなら梅雨は明けている。七夕の異名は星祭りで、その趣旨からも合理的である。
ちなみに、1週間の曜日についても触れておこう。曜日は、日本では月・火・水・木・金・土・日の名称を使っているように、それぞれに名前を付けている国・地域が多い。そのそれぞれは、太陽と月と神話の神の名に由来することが多く、宗教や文化により異なる。また、どの曜日を最初にするかも多様である。中国では月・火・水・木・金・土・日を星期一・星期二・星期三・星期四・星期五・星期六として、最後の日曜日を星期日ないし星期天とすることが普通である。
暦には興味深い雑学が溢れている。本記事では紹介しきれないが、関心のある方はお調べいただきたい。
中秋節には月餅を食べる
日本で、中秋節は十五夜のことになる。ススキを飾り、団子、里芋、枝豆、栗などを添えることが一般的である。丸いものが多いのは月との関連による。中国も同様で、スイカ、ブドウ、リンゴ、ユズといったこの時期に入手できる果物が選択される。
なかでも最も重要なのが、月餅(ユエビン)である。中国では中秋節に家族だけでなく友人たちも集まって、月を愛でながら月餅を食べる風習がある。月餅はまた、親しい人やお世話になっている人に贈ることが多い。
月餅の中身とサイズは多様だ。
日本では中村屋の月餅(げっぺい)がよく知られているが、これには小豆餡と木の実餡がある(どちらもおいしいが、筆者は後者が好みである。水分が少ないので日持ちする)。中国でも同様のものがあるが、ほかに鹹蛋(シェンタン。アヒルの卵の塩水漬)の黄身を入れたものに人気がある。筆者も食べたことがあるが、カットしたときに現れる丸い黄身は実に美しい。
月餅のサイズは、20cmを超えるものもある。しかし、中国でも小家族化が進んでいるため、近年は10cm程度の小型が好まれるという。
中秋節の行事を通じて、日本と中国のつながりを再確認することできた。これからのつき合い方に生かすことができるだろう。