青島(チンタオ)は山東省東部の港湾都市で、多くの観光スポットがある。景色や文化など、この地域独特の雰囲気が楽しめる。海岸沿いにも観光スポットはあるが、旧市街地にはドイツ占領時代の趣のある建造物が多く残っている。なかでも青島ビール博物館(青島啤酒博物館)には、ぜひ足を運びたい。
青島ビールの歴史と醸造工程がわかる
青島の中心と言えるのが、青島駅である。南方向に少し歩くとビーチになる。早朝から多くの人出があり、体操やジョギングを楽しむ様子を見ることができる。駅周辺には高級ホテルが多い。出勤時間になると、航空会社のキャビン・アテンダントと思しき女性たちが出てくる。さっそうと一列になって歩く姿は一見の価値がある。
その青島駅から北東4.5kmほどのところに、青島ビール博物館がある。バス路線があるが、わかりにくい。タクシー利用であれば問題がない。
博物館は中庭まで無料で入れるが、建物内は有料である。入場料は50元(750円)とやや高額だ。館内の見学コースはA区とB区に分かれている。
A区では青島ビールの歴史を紹介している。概略は以下の通りだ。
- 1898年以降、青島はドイツの租借地となる。当地経営の一環として、ビール生産技術移転が行なわれた。
- 1914年、第一次世界大戦で日本が青島を占領し、戦後のベルサイユ条約(1919年)でドイツから青島の租借権などを引き継ぐ。
- 同時に、青島ビールは日本の大日本麦酒が経営を引き継ぐ。本工場で「朝日ビール」と「札幌ビール」の製造も行なわれた。
- 1922年の山東還付条約により、諸権益は中華民国に返還される。ただし、青島ビールは大日本麦酒が経営を継続する。
- 1945年、第2次世界大戦の敗戦により、青島ビール経営権は中国に移行する。
B区では、具体的なビール製造を紹介している。パネルで製造方法を確認できる。設備はかつて使用していたものだが、間近に観て触ることもできるのはうれしい。筆者は醤油会社出身である。ビール醸造の具体的な説明は省略するが、ビール醸造に使用する設備は醤油醸造で使うそれと似ているものが多い。
この後、試飲コーナーと土産品の販売になる。
「青島ビール」の圧倒的なブランド力
博物館の前がビール通りである。海鮮料理などの店が軒を連ね、食事時にはどの店も人々であふれている。しかし中国のレストランは複数名での利用を前提としたボリュームのメニューが多いため、一人で来た筆者にはこれらの店舗は利用しづらい。タクシーでホテルまで戻った。
さて、青島市内散策すると、目立つのがビニール袋によるビール販売である。通常品は10元/斤(150円/500g)程度である。付加価値のある黒ビールの場合、同15元(225円)とやや高価になる。通常は家に持ち帰って、コップに移して飲むようだ。そこまで待てない場合、ストローで飲むのである。時折見かけたが、それではおいしくないだろう。
青島から少し離れた地域では、他社のビールも流通している。ただし、店に設置されているサーバーは「青島ビール」のものだけといってよく、他社ビールはビン入りや缶入りになる。
販売店により差異があるが、「青島ビール」は高価である。サーバーから注いで売っている「青島ビール」は少し濁りのある状態だが、新鮮でおいしい証拠と感じる。
他社のビールもいくつか試したが、筆者が悪くないと評価したのは北京に工場がある「燕京(えんきょう)ビール」である。
酒類について、本連載第4回で触れた。ビールでは日本メーカーも「濃厚な味」という差別化により、中国消費者の一定の支持を得ている。そうであっても、「青島ビール」のブランド力は国内・国外のビールに対して、圧倒的に強いと言える。