日本植物細胞分子生物学会は、9月9日大阪・千里で市民公開シンポジウム「遺伝子組換え作物の実用化――植物バイオテクノロジーのインパクト――」を開催した。内外のバイオテクノロジーの第一人者を招き、当日は約250名が聴講した。
不可能への挑戦と市場性
最初に、協賛したバイテク情報普及会事務局長の加藤晴也氏が世界の遺伝子組換え作物の開発と栽培について概説し、続いて3名の専門家がそれぞれの研究と社会に与えたインパクトについて説明を行った。
サントリー植物科学研究所長の田中良和氏が、「青い花をつくる~不可能を可能に~」と題して講演。「青いバラ」が不可能を表す言葉であると同時に、青い花には市場性があることから研究がスタートしたことと、その実際の研究、開発について説明した。
コラボレーションの力
続いて米国農務省太平洋農業研究センター長のデニス・ゴンザルベス氏は、「ハワイのウイルス耐性パパイヤ物語」と題して講演。
60年以上にわたって世界各地のパパイヤ生産を脅かしているパパイヤリングスポットウイルス(PRSV)が、ハワイにも上陸し主要産地も感染の危機にさらされていることを察知し、実際に被害が発生する前の1985年から研究をスタートさせたことを説明した。
この対策の主要なコンセプトは、病原体の遺伝子をパパイヤの染色体に組み込むことでワクチン化を図るというもので、1991年に温室内でPRSV抵抗性を示す組換えパパイヤ系統の単離に成功した。
しかし、1992年にハワイのパパイヤの95%を栽培していたハワイ島プナ畜でPRSV感染が確認され、1994年までにはハワイのパパイヤ産業は壊滅的な被害を受けた。
一方、PRSV抵抗性のあるレインボー品種の圃場試験は1995年からスタートし、劇的な成果を上げた。抵抗性が強い上に、品質的にも満足のいくものだった。
このレインボーと並んでサンアップの両品種の商業栽培が承認されてスタートしたのは1998年で、いったんは1992年の50%まで落ち込んだパパイヤ生産を回復させている。
さらに、日本への輸出に向けて、日米双方の協議の経緯についても説明した。
ゴンザルベス氏は、この一連の物語を「小さな組織、力のない人々が協力し合ったときに、何をなしとげることができるか」の例として紹介し、「コラボレーションのパワー」を強調した。
過剰なまでの予防原則の弊害
3番目に登壇したスイス連邦工科大学名誉教授・ゴールデンライスプロジェクト代表のインゴ・ポトリカス氏は、「ゴールデンライス:社会への貢献と規制がもたらすもの」と題して講演。世界の貧困層4億人がビタミンA欠乏症に苦しんでいるのに対して、ビタミンA前駆体を含むコメを提供することで解決することになった経緯と、遺伝子組換え技術の理解が進んでいない世界の実態について報告した。
ポトリカス氏らは、最初、胚乳にビタミンA前駆体を含むイネ品種がないかを探したが見つからなかった。一方、1999年には、遺伝子組換え技術によって胚乳にビタミンA前駆体を蓄積することが可能であることが証明された。
しかしその後「過剰なまでの予防原則」に基づく規制の中で、実用化のためには2000万ドルの特別な経費と、10年に及ぶ余分が時間を要したことを説明した。
ポトリカス氏は、これに対して、「遺伝子というものは中立的な情報であり、種に特異的な遺伝子はない」「同じ機能を持つ遺伝子を異なる生物から取り出して比べてみた場合、それらが異なるものだということはない」「したがって、遺伝子組換えをした植物と遺伝子組換えをしていない植物を区別する必要はない」ことを訴えた。
250名のうち半数は一般の聴講者
第2部は「植物バイオテクノロジーと私たちの生活」と題したパネルディスカッションで、田中氏、ゴンザルベス氏、ポトリカス氏に、筑波大学大学院生命環境科学研究科教授江面浩氏、京都大学大学院生命科学研究科教授佐藤文彦氏、アメリカ穀物協会日本代表浜本哲郎氏、科学ライターでFood Communication Compass代表・編集長の松永和紀氏らが加わり、大阪府立大学生命環境科学研究科教授小泉望氏がコーディネーターとなってそれぞれの意見を述べた。
当日の聴講者は約250名で、うちおよそ半数が研究者と学生で、残りがマスコミを含む一般だった。