明日を見るには――宮城・岩沼からの連絡

その後訪ねて平塚さんが案内してくれた岩沼
その後訪ねて平塚さんが案内してくれた岩沼。水田の海側部分はえぐれていた。地盤は50cm以上沈下し、新しい耕作には排水確保のためのポンプが必要という。

その後訪ねて平塚さんが案内してくれた岩沼
その後訪ねて平塚さんが案内してくれた岩沼。水田の海側部分はえぐれていた。地盤は50cm以上沈下し、新しい耕作には排水確保のためのポンプが必要という。

津波被害を受けた宮城県の農家から、再起の道筋をつけるにはどうしたらいいか、資金と顧客を得る方法は、と相談を受けた。制度の内容から、行政はあてにできないという。そこへ追い打ちをかけるように入った肉牛出荷停止の報と立ち始めた風評。手を差し伸べてくれる企業は現れるのか。絶望から離農を考える人も出ているというが。

会った翌月。無事とは聞いたが……

 宮城県岩沼市の農家で育種家の平塚静隆さんからケータイに電話があったのは、7月の終わりころだった。

 今年、平塚さんは自分で育種した「冷めるとおいしい米」を発表した。この米に興味を持っていると話したところ、わざわざ新宿の事務所まで来てくださったのが2月中旬。平塚さんの経営の中心は野菜生産だが、米、とくに酒造好適米の選抜・育種をライフワークとしている。その取材で以前ご自宅までうかがっていたので、「今回はこっちから行く」と言ってくださり、甘えた。

 まだ公開するわけにはいかない育種の秘密があること、今後の計画、とくに今年作付けることの楽しみなど話し、酒造好適米の育種をしながら実は全くの下戸という彼と焼肉を食べに行き、また近く私から訪ねますと言って別れた。

 3.11の夕方、私はまだのん気に構えていた。強い地震とは言え、宮城はじめ東北太平洋岸の人たちは日頃の備えがしっかりしている。たいへんな地震ではあったようだが、そこはきっと、とか。

 あの日、私はどうしても車で出かけなければならない用事があった。日が暮れた後、都内の幹線道路の大渋滞発生に荷担しながらラジオを聞いていた。あちこちで潮位計が壊れているというニュースを聞いて、未曾有の事態を想像するよりも、機械の頼りなさのほうに関心がいっていた。

 うろたえたのは、夜半に帰宅してテレビを見たときだ。恐ろしい津波が襲った仙台市若林区には大学の先輩夫婦が住んでいる。そして、平塚さんの家と圃場は、太平洋を目前にして南へ蛇行する阿武隈川下流と海に挟まれた地域だ。その上流、岩沼のとなりの槻木には大学の後輩夫婦がいる。体が震えた。

 安否がわかったのは、1週間~10日後だった。後輩の無事は同期で確かめたと別の後輩から連絡が入った。何度目かにかけてやっと通じた先輩の電話からは、「おひさしぶりー!」と元気な声が飛び出した。

 平塚さんの携帯に電話が通じたのも同じ日と記憶する。ほっとしながら様子を尋ねると、自分は体も家財も無事、近所ではけっこう流されたと。あまり長電話をしてはご本人にも、他の通話者にも迷惑と思って切り上げた。

自力では不可能。行政も頼れない

 それがとんでもない“取材不足”だったとわかったのが、7月にいただいた電話でだ。実際には、平塚さんの家は使えなくなり、今年の作付けを待っていた「冷めるとおいしい米」の籾は水に浸かり、家内で干していたわずかな籾だけが残っているという。本人は今、仮設住宅にいる。

 わざわざ電話をくださったのは、“復興”のための相談だった。

 近隣30戸の農家の大半は家を流され、全戸の農機と施設が塩水を被り、瞬時に鉄くず・瓦礫となった。圃場は塩分濃度が稲の作付の限界を超えており、今年の作付けは見送った。

 それでも来年には作付けはできるだろうとわかった。しかし、農機、施設、道具、種苗がない。全戸の再起に必要な金額はざっと2億円と見積もっている。

 補助金が出るらしいと伝わってきた。補助金で半分、自分たちで半分をかき集められればいいのではないか。それで行政に聞きに行った。

 しかし、実際に聞いてみると、かなり条件が厳しいものとわかった。最大のハードルは、50haの圃場をまとめなければ話が始まらないという点。この地区の30戸で集まる圃場の面積は合計で40haと少々で、50haには届かない。

 その場合、たとえばある企業が農機や施設のための費用を投資するないし貸し付けるなどしてくれて、さらに生産する作物を買い取ってくれるようなことというのは、可能性としてあるものか、ないものか、そこを教えてほしいという電話だった。

 可能性はある。問題は可能と答える当の企業に出会えるかどうか。そんな風に答えた。

 米よりも野菜等のほうが見つけやすいかもしれない。それで圃場の種類を尋ねると、約36haは水田で、畑地は4haという。地目は水田でも畑地として利用できるところも、多くはない。地下水位が高いためという。

 その後、電話とメールで連絡を取り合っていたが、問題が2つ加わってきたという。

 一つは、30戸の意見が割れる傾向にあるということ。これはわかる。30戸もの数の農家の意思が一つにまとまるなどは、平時でもたいへんなことだ。まして、現実に明日が見えず、行政も頼れないとなればなおさらだ。

 中には離農や岩沼を離れることを考える人も出ているらしい。聞くだにつらい話だ。

 そして、もう一つのほうが目下の最大の問題だという。宮城県産の肉牛も出荷停止となったことで、宮城県産の農産物全体が忌避される事態が広がってきているという。

復興の歩みはリスクを取ること

 どういう事情、考えでの判断にせよ、結果で言えば官製の風評被害ではないか。

 私は、風評被害は、ブランドホルダーないしブランドの管理者が事実上不在であるか、自覚がないか、力が弱いときに拡大しやすいと見ている。あくまで一般論だが、その役割に求められる呼吸は、どうも行政なり公務員の仕事にはなじまない。

 だからこそ、民間に資金を出してもらって、自社の問題として事に当たってもらう意義は大きいのだが、果たして金銭と評判の両方のリスクをとって乗り出す企業は現れるものかどうか。どうかというよりも、どうなのか。

「がんばれ」を言うだけならカネはかからない。カネを出して「がんばれ」という広告を作れば、よい評判という見返りを得て話は終わるかもしれない。善意の金銭を集めて、それを誰かに渡して帰ってくればそれ以上の出費はなく、評判も上がりこそすれ落とすことはないだろう。

 このように、具体的な課題が設定されたものについてカネを出す算段は、従業員にもできる仕事だ。しかし、リスクを取る決断はマネジメントの仕事だ。カネを置いて帰ってしまうのではなく、リスクを取って被災地と歩こうという企業なりその経営者の登場を待ち望む気持ちは、岩沼のこの例に限らず、今、東北の各地にあるのではないか。

 平塚さんは言う。「掛け値なしにゼロからのスタートが切れるかどうかの話。全員藁をもすがる気持ちです。(とかく農村でありがちとされる)A社とB社でどっちがいいかなどと考えるような状況ではなく、手を差し伸べてくれた企業の要望に、誠心誠意しっかり応えることで活路を見出していくのだと、皆で話しているところです」。

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ファクシミリ→ 03-3225-3357

※このたびFoodWatchJapan編集部=株式会社香雪社の住所・電話番号・Fax.番号が変わりました。新しい連絡先はこちらをご覧ください。

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About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →