「消費期限」と「賞味期限」――この二つの言葉の意味は食品関係者であれば、当然知っていると思うが、本件についてちょっと気になることがあるので一度整理をしてみたい。
菌検査と官能検査で決める
賞味期限とは農林水産省公示の加工食品品質表示基準で定義されている言葉で、「定められた方法により保存した場合において、期待されるすべての品質の保持が十分に可能であると認められる期限を示す年月日をいう。ただし、当該期限を超えた場合であっても、これらの品質が保持されていることがあるものとする」。これを過ぎても食品の安全面ではただちに問題になることはないが、おいしく食べることが出来るのはここまでという期間のことである。
一方の消費期限は、「定められた方法により保存した場合において、腐敗、変敗その他の品質の劣化に伴い安全性を欠くこととなるおそれがないと認められる期限を示す年月日をいう」と定義されている。
表示どおりの保存方法でその期限までは安全に食べることができる期間のことで、逆に言えばその日を過ぎると、安全でなくなる期限である。
これらの設定に用いる手法は、菌検査と官能検査である。菌検査の結果は消費期限設定に用いるが、微妙な味の変化が起きやすい商品は実際に食べてみて賞味期限を決定している場合が多い。
念入りな安全係数で食材ロスは拡大
このどちらも、一般にかなりの安全係数をみて設定していることは意外と知られていない。腐敗した商品を販売するわけには行かないので当然とも言えるが、一方、このことが食品ロスに大きくつながっていると思われる。
たとえば生鮮品のカット野菜等であれば、製造日+3D(日)が一般的だが、工場での拘置見本は1週間程度の保管検査を実施している。その見本を調べてみると、ほとんどの場合は+5D~+7Dくらいまでは問題ないことが多い。しかし、商品は原料の鮮度の差異や、配送のトラックや店舗に着いてからの温度変化を考えて+3Dに設定している。要は絶対に問題が起きない設定を目指しているということだ。
また、メーカーがこうした安全係数を持っている上に、その商品を販売する小売業や、使用する外食チェーンは、独自基準でさらに消費期限-1Dのような安全係数を持っているので、二重三重でセキュリティをかけていると言える。この厳しさは安全と言えば安全だが、食べられるものを捨てていることにもつながっていると言える。
ところが、原料のまま流通するホールの野菜や肉や魚にはこの基準がなく、あくまでも加工食品にしか適用されないのも変といえば変である。野菜の品質保持は、いまだに青果店の人の勘や、スーパーであれば売り場担当者の目利き、お客それぞれが持っている“基準”にかかっているのだ。鮮魚や精肉のパック消費期限は検査の結果を基にしているが、やはり加工業者や小売業者が経験値によって打っている。
消費者の識別能力を低下させていないか
メーカーや小売業の努力の結果、店頭で鮮度の悪い食材を見かけることがほとんどなくなったように思える。余談だが、数十年前の高校生のとき、大手電鉄系スーパーでアルバイトをしていた同級生から聞いた話だが、精肉の再パック、ひどいときには再々パックを日常的に社員に命じられてやっていたそうだ。昭和の時代がひどかったのか、そこのスーパーのロス削減目標が厳しかったのかは今では知る由もないが、当時の主婦は表示された賞味期限で判断するだけでなく、自分自身の目で鮮度を確認するということをしていたと思われる。
食品の商品開発を長年続けていると、私の味覚は鋭いと人に言われることが多いが、私の味覚の原点は職業的な経験の積み重ねより、母親の性格にあると思っている。実に恐ろしく偉大な母は、冷蔵庫に眠る賞味期限切れ食材を捨てるのがもったいなかったらしく、まず何も言わずに普通に調理して食卓に並べたものだ。息子が何も言わずに完食した後に、自分が食べるという人だった。私が「この○○、臭いがおかしいよ!」と言うと「あんたは鋭いねぇ。やっぱこれはあかんかったか? お父さんは何も言わずに食べてたわよ!」という感じの毎日であった。
腐敗臭に敏感でないと生き残れないサバイバルな家庭に育ったのである! しかも、日々危ないものが出てくるのではなく、ときどき出てくるから余計にたちが悪い。しかし、今ではこの環境に育ったことに感謝している。私が味や臭いに敏感になったのは、毎日の食事が抜き打ち検査となり、味覚の訓練となっていたと思われるからだ。
何が言いたいかと言うと、人間は自分の身を守るために、五感で食品の安全性を確認する能力を太古より持っていたはずだが、昨今の便利で安全な消費期限設定のおかげで、この能力が衰えているのではないか? と危惧している。
私は業務では品質保持期限・賞味期限に厳しいが、自分が家で物を食べるときは、消費期限はあまり気にせず、自分の舌を信じるようにしている。メーカーの安全係数は通常3分の2以上はあるものだからだ。缶詰が1年で腐るわけがないのであり、魚肉ソーセージが3ヶ月のところ4ヶ月で食べても、なんら問題が起きるはずがないのである(という利用を推奨するわけではない)。
外食独自の仕組みでロス低減目指す
そのようなジレンマの中、私の仕事はお客さまに安全性をギャランティすることだが、一方で無駄な食品ロスを減らすことにも貢献していきたいと考えている。そのために、生産から消費までの効率アップをするスキームを構築していきたい。
必ずしも消費期限等の話ではないが、たとえば小売向けではなく外食向けの基準を持った選果場を作って出荷してもらうことがロス削減につながる(一部エリアでは開始済み)。以前、トマトの産地で弊社向けの選果をやってもらったときに驚いたのが、野菜をカットして使用する外食にとってまったく問題のないトマトが出荷されずに捨てられていた。このあたりの相互理解を深めれば、廃棄ロスを減らすことが出来るし、当たり前だがこれは購入価格にも影響してくる。
また別の観点では野菜の育て方をスーパー向けから外食向けに変更したりすることにも取り組みはじめたが、こちらも拡大していきたい。たとえばピーマンの輪切りをつくる場合には、スーパーで売っているものより長く伸びる品種を栽培すれば、カット工場で原料切替の作業が減り、カット効率が上がる。レタスなども通常のものより重量をのせたほうが、製品になる効率が上がる。
このようなことを経験として積み上げていけば、かなりのロス削減を実現できるはずだ。相互理解と細かなノウハウの積み重ねが、本当の意味でのコストダウンにつながるはずだ。