畑の土が消えていく(2)

圃場で作物を前にすれば外食と農業の壁を越えて話も弾む。
圃場で作物を前にすれば外食と農業の壁を越えて話も弾む。

戦後、化学肥料が普及すると、堆肥を作ったり撒いたりすることが減っていきました。もともと、堆肥作りはたいへんな手間と時間がかかります。しかも、圃場に均等に撒く作業も、機械化しづらい作業だったためたいへんでした。そこへ、粒状などで撒きやすい化学肥料が登場したので、農家は仕事がラクになるといってとても喜びました。

作業を軽減させる化学肥料の登場

圃場で作物を前にすれば外食と農業の壁を越えて話も弾む。
圃場で作物を前にすれば外食と農業の壁を越えて話も弾む。

 お金を払って買う肥料なので「金肥」(きんぴ)などとも呼ばれましたが、彼らにはそのコストをかける価値があったのです。世の中は、高度経済成長に向かって、第二次産業、第三次産業で労働力の需要が高まり、若者や働き盛りの男性は都市へ働きに出るようになります。そうなると、父親、息子、娘が不在の間に、「じいちゃん」「ばあちゃん」「かあちゃん」で営農をしなくてはなりません。この「三ちゃん農業」を支え、日本の経済大国化を実現した影の功労者の一つが化学肥料であり、さまざまな農業機械だったのです。

 でも、化学肥料で作物が吸うための肥料成分をまかなうことはできましたが、その影で、圃場の微生物は減っていったのです。彼らに必要な腐植の元となる堆肥などの供給がされなくなったか、減ったからです。

 牛久市の農家、高松求さん(77歳)は言います。

「化学肥料を使った当初は、ものすごく効きました。化学肥料を撒くと、本当によく育ち、よく取れて驚いたものです。でも、数年後にはさっぱり効かなくなったんです」。

腐植が減り、微生物がいなくなり、土が消え始めた

 高松さんと仲間の方たちは、長年の経験から、それは腐植の不足によって作土が肥料成分を保つ力(保肥力)が落ちたためだと気付きました。また、化学肥料でも微生物が分解した形でなければ作物が吸収できない成分があるので、腐植が減って微生物が減ったことも問題でした。そこで、再び堆肥を施したり、別な手段で(どんな手段かは、回を改めてお伝えします)圃場に腐植の元となる物質の供給に注意を払うようにしました。

 もちろん、このことに気付いた農家は、高松さん以外に、全国にたくさんいます。「土作り」という曖昧な言葉がよく使われますが、多くの人が言う「土作り」とは、こうした観点で作土を良好に保つことを指しているようです。

 しかし、多くの地域、多くの農家で、腐植を保つことは軽視されたままでした。そして、年月を重ねるごとに作物は育ちにくくなり、「ではもっと肥料を与えねば」と、農家や肥料を売る人(肥料メーカーや肥料店だけではありません。恐らく日本でいちばん肥料を売ってきたのは農協です)が考え、さらに腐植は減りました。撒き過ぎた肥料(化学肥料でもいわゆる有機肥料でも)は、作物が過剰に吸って健康を害するか、水に流されて地下水に混じり、河川に流れ、海に流れます。このムダの分、肥料関係の産業は余計に売り上げたとも言えます。

ビール大麦作りをやめて風害が加速

 そして、10年、20年、またそれ以上の年月が経つにつれて、圃場の腐植は完膚なきまでに失われ、団粒構造を保てずに、冬には風害を起こしやすくなったのです。

 それでも、たとえば牛久市の高松さんの周辺で、冬場の風害が特に大きな問題となり始めたのは、ここ10年ほどのことです。なぜ、それまでは風害が目立たなかったのでしょうか。それは、この地域の水田や畑などでは、冬に麦を育てていたからです。イネの収穫の後、ビール大麦を撒いて冬を越させ、翌年収穫する。すると、冬から春先の風の強い時期には、麦の根が土をしっかりと押さえ、圃場に吹き込む風を茎葉が防ぐのです。これにより、風害で失われる土の量を15分の1に抑える効果があるということです。

 ところが、1996年頃から、この地域で冬場の麦作がほとんど見られなくなったのです。なぜかというと、95年の夏に、ビールメーカーが軒並みビール大麦の引き取り(買い付け)を断ったからです。「表向きは、品質が基準に達していないと言われました。しかし、あの年はどの農家の圃場でもよく取れ、品質にもみんな自信を持っていたのです」と高松さんは言います。

 実はこの年、ウルグアイ・ラウンド発効で、海外のビールメーカーの攻勢を予測したビール業界は、安価な外国産麦の使用量を増やさないと価格的に対抗できないと農協に迫り、国産麦の引き取り量を減らすことで合意していたのです。

 高松さんが「農家は儲からないとなれば、二度と作らないものです」と言うとおり、この地域では水稲と麦で圃場を回転するという生産体系が失われました。以来、圃場の風害、すなわち砂漠化がさらに進み、生産での障害となるばかりか、非農家にとっては洗濯しても落ちづらい土埃の害ともなって地域全体の悩みの種となっていったのです。

 次回は、国産農家が苦手な「生産物を売る」ことと、外食企業などが得意な「買い付け」の関係についてお話します。

※このコラムは柴田書店のWebサイト「レストランニュース」(2009年3月31日をもって休止)で公開したものです。

アバター画像
About 齋藤訓之 398 Articles
Food Watch Japan編集長 さいとう・さとし 1988年中央大学卒業。柴田書店「月刊食堂」編集者、日経BP社「日経レストラン」記者、農業技術通信社取締役「農業経営者」副編集長兼出版部長等を経て独立。2010年10月株式会社香雪社を設立。公益財団法人流通経済研究所特任研究員。戸板女子短期大学食物栄養科非常勤講師。亜細亜大学経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科非常勤講師。日本フードサービス学会、日本マーケティング学会会員。著書に「有機野菜はウソをつく」(SBクリエイティブ)、「食品業界のしくみ」「外食業界のしくみ」(ともにナツメ社)、「農業成功マニュアル―『農家になる!』夢を現実に」(翔泳社)、共著・監修に「創発する営業」(上原征彦編著ほか、丸善出版)、「創発するマーケティング」(井関利明・上原征彦著ほか、日経BPコンサルティング)、「農業をはじめたい人の本―作物別にわかる就農完全ガイド」(監修、成美堂出版)など。※amazon著者ページ →