新潟県の泉田裕彦知事は、JAなどがコシヒカリ新潟BLを在来コシヒカリと区別せず売っていることを批判した。朝日新聞などによれば、知事は2007年12月4日に、「消費者の信頼を獲得するため、なるべく情報を開示する方向でやったほうがいい」と発言。11月30日の県議会の委員会でも、「在来品種と新品種の違いを分からないようにして売ってしまおうという戦略。『情報隠し』だ」と言ったという(ともに朝日新聞の報道)。
コシヒカリ新潟BLについては、05年11月17日、「コシヒカリ新潟BLの登場が教えたもの」で触れた。
新潟県はこれまで、コシヒカリ新潟BLは「種苗法に基づき、農林水産省が厳正に審査し、いもち病抵抗性の性質だけが異なる以外は、従来コシヒカリと同等であると認められたもの」と説明し、食味も在来コシヒカリと同等として、在来コシヒカリと区別する表示は必要ないとの立場を貫いてきた。その経緯からすれば、新潟県の農家と農業関係者の動揺の大きさは想像するに難くない。
コシヒカリ新潟BLと在来コシヒカリを区別せずに売ることは、法的には問題ないのかも知れない。また、食べ比べてもほとんどの消費者が違いに気付かないとすれば、やはり表示の必要はないのかも知れない。結果的に(ほぼ)同じものであれば、敢えて区別することは非科学的とも言える。
ただ、この説明は、「冷凍しても、あんこをつけ直しても、餅の品質は変わらない」「最初に表示した日付を過ぎても菓子の品質は変わらない」として、他の新品と区別が付かないようにして販売していた場合と似ているように思えてならない。泉田知事が「情報隠しだ」と心配している点も、そこにあるのだろう。
また、品種改良の目的が耐イモチという生産サイドの都合であり、食味向上という消費サイドのベネフィットを考えたものではなかった。いわゆる「売り手の都合」というものだ(「耐病性が向上すれば価格が下がる」という反論がありそうだが、今日多少の価格差に消費者は価値を感じない)。
米国のBSE問題に対する姿勢にも、どうも同じ種類のマーケティングの稚拙さを感じる。彼らは、「科学的に意味がないことで商品の価値に差が付くことは好ましくない」といった考え方によって全頭検査を拒否し、恐らくはマーケティングセンスに長けた一部のミートパッカーが、BSE検査を実施しようとした動きを制止することさえした。そして、米国は日本の輸入再開は勝ち取ったものの、米国産牛肉、あるいは牛肉のブランドや商品価値を傷つけた。日本の消費者はこの間に、豚肉と野菜への嗜好を強めてしまった。
そもそも、「“同じもの”だから区別するのはおかしい」と考えるならば、米国は、日本向けにGMダイズの作付けをすることや、オーガニックの表示を禁止していいはずだ。
新潟県産米は今年大暴落し、関係者は右往左往している。それがコシヒカリ新潟BL導入と関係があるのかどうかは分からない。しかし、今になって、泉田知事がコシヒカリ新潟BL政策批判をした動機の一つが、もし新潟県産米の不人気を打破したいという気持ちであるとすれば、BL導入と暴落との間に、何らかの因果を感じる空気が現地にあるのかもしれない。
暴落によって困っている方々には同情する。ただ、これを期に、米の新しい、明るい未来も見ることができる。「新潟県産」という大きなブランドの価値が下がる先には、「コシヒカリ」という大きなブランドも、やがて下がっていくに違いない。これら自体、もともと科学的な根拠で支持されていたというよりも、多分にイメージによって支えられてきたものだ。それを科学的に区別しようと考えたことが、そもそもの間違いだったはずだ。
その先にあるのは、様々な産地、さまざまな品種間での競争だ。栽培法、品種選びに、全国の農家がいままで以上に知恵を搾り合うことになるだろう。競争が、全体の品質を高め、消費者にとってはさまざまなコメを選ぶ楽しみができる。
この流れを、コメ関係者が歓迎し、競争を楽しめば、コメの需要は伸びるはずだ。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。