以前、電車に乗っていたときのこと。昼過ぎの上りながら、その車両の座席はほぼ埋まっていて、私を含め、途中で乗ってきた何人かがつり革につかまっているといった混み具合だった。網棚に荷物を載せて、ふと視線を落としたその時、私の前の座席で居眠りしている男性の頭に目が釘付けになった。脂でテカテカと光る頭髪に、おびただしいフケがからんでいる。紺色の背広の肩にも、粉雪のように、それは積もっていた。思わず、「うわっ」と声を出しそうになりながら、2cmほど後ずさりしてしまった。
後ずさりしながら、たまたま、その人の背広のフラワーホールに光る徽章にも目が止まり、二度驚いてしまった。今は上場企業となった、ある給食の会社のバッジだったのだ。フケというのは、体調や疾病にもよるとは思うのだが、電車の中でいちいちその釈明ができるわけではない。だから、あってはならない光景だったはずだ。
あの時私が感じたことは、「この人は風呂に入る時間もないほど働いているか遊んでいるかしていて、さらに寝る時間もないほど働いているか遊んでいるかしているのだな」ということだった。給食という、高度に衛生的な仕事をするはずの人たちの中に、こういう人がいて大丈夫なのだろうか、と心配した。
その後、その会社の施設で食中毒が出たという報に接したり、良い話でも悪い話でも、取材で訪ねたりするたび、どうしようもなく思い出すのは、電車の中で眠りこけていたあの男性の姿だ。
量販店系のある外食の会社で、取材に対応してくれた人の中にも、電車の男性ほどひどくはなかったけれども、伸びきった髪にフケたっぷりという人がいた。この人は明らかに忙しすぎて、散髪も風呂もご無沙汰という様子だった。そして、その会社には同じような人たちが多い。現実に不潔ということも問題なのだけれど、それ以上に、そこまで忙しくて安全なものが提供できるのだろうかというのが、今でも気になっている。
こんなこともある。有名な食品メーカー系の外食の会社に取材に行ったときのこと。受付に名前を告げて、ロビーで訪ねた人を待った。ところが、さっぱり現れない。受付の女性に、確認を頼もうとしたところ、外回りから帰ってきた若い男性社員2人と、普通、会社(の玄関)でそういう態度と話題はないだろうというぐらいリラックスした会話に花を咲かせていた。
ばかばかしいので帰ろうかと思ったけれど、読まねばならない資料はたくさん持っていて時間はつぶせる。興味本位でさらに待ってみた。結局、相手が出てきたのは約1時間後。社内で、何か相当もめていたらしい。同情して、苦情は差し控えた。
案内されたのが、会議室ではなく商談ルーム。今日ではあり得ないことだが、前が見えないほど紫煙が立ちこめていた。そこで何十組もの商談が繰り広げられていた。我々が外食チェーンの戦略について話している間中、ほかの社員たちは、商談相手を怒鳴り散らしていた。「値段を下げろ」「こんなものは使えない」――そんな怒声で充満していたという印象だけが残り、取材どころではなかった。
あそこまで仕入先をしぼって、安全なものが提供できるのだろうか。やはり今でも心配している。ちなみに、外食チェーンの方は、お世辞にも順調とは言えない。
こういうのは“裏話”と言うけれど、どれも一般の人でも会える人、行ける場所で、普通に見聞した光景だ。記者だからアクセスできた光景ではない。ただ、記者だから記憶してしまった、ということはあると思う。
こういうスキを持った企業というのは、実は少なくなくて、だから記者会見でどんなかっこいい発表をしても、記者はつい、その“裏”から将来を考えてしまう。考えたから書くなどということはもちろんないけれど、将来起こり得る重要なニュースをキャッチする構えはできる。
米国のある食品工場を視察した折のこと。工場の入口には「HACCPの工場」とはっきり表示があった。ところが、中に入ってすぐ、前方にいた同行者が「え~!」と騒ぎ出した。われわれが歩く細い鉄枠の通路が、選別のラインの上空をかすめていたのだ。クリティカル・コントロール・ポイントが、全く認識されていなかった。
その後、その工場で何かが起こったとは聞かないが、あれ以来、「HACCP対応」などと書かれていても、実際にこの目で見てみるまでは、何も信用できないものだと考えるようになった。
もちろん、まじめな会社、工場はたくさんある。しかし、安全な商品作りに対して、あまり真剣に考えていないだろうなというイメージを発散している会社や工場も、少なくはない。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。