ピクセン(現バイオミメティクスシンパシーズ/東京・江東、漆畑直樹社長)は、香りに関する技術を核に、新市場開拓に取り組んでいるベンチャー企業だ。香りによる室内環境の改善、医療への応用、防災への活用などに取り組み、香りによる集客、購買促進などでも実績を上げている。
この会社が従来の伝統的な香料産業とはっきり違う点は、香りのデジタル化と電送の技術を確立しており、将来的にあらゆる香りのデジタル化を目指しているという点だ。テレビ、パソコンなどを介してさまざまな香りを伝えることも、遠からず可能になると言う。
実用化した暁のことを考えると面白い。料理番組では、料理研究家が考案したオリジナルのハンバーグの香りがリビングに放たれるだろう。それ自体十分感動的だが、その後台所でレシピ通りに焼いたハンバーグから同じ香りが漂った時、視聴者(という言葉も改めるべきだろう)の感動はさらに深まるに違いない。
人間の知恵によって結果が制御されるデジタル機器と、料理という曖昧さのあるプロセスと、その両方からほとんど同じ香りが出てくる。それを体験したときの驚きないし戸惑いは、初めて写真を撮ってもらった人のそれを上回るのではないか。
一方、その時代の消費者は、加工食品や外食の商品の香りに対して、一種の疑いの目を向けるようになるかも知れない。「これも人知によって制御、模造された香りではないか」と。香りの制御なり合成なりは、疑いと言うよりも今日すでに当然に行われていることだが、消費者の見方が変わるということだ。食品や外食に携わる企業は、今からその時代のコミュニケーション戦略の検討を始めておいた方がいいだろう。
とかく、人は曖昧さのあるプロセスに対しては寛容で、「本物」と感じる傾向がある。「手作り」「神業」「神秘的」などと言い、人間よりも高次の存在から与えられたという印象を持つのだろう。それに対して、科学的に解明され合理的に設計されたプロセスは、今日ウケが悪い。「工業製品」「機械化」「マニュアル化」といった言葉は、往々にして悪口に使われる。
この傾向は、コミュニケーションやエンタテインメントのクリエイティブについても言える。ただし、こちらの場合、受け手である消費者よりも、送り手であるクリエイターや広告主についての話だ。
人を感動させる物語が備えているべきキャラクター、出来事、それらの構成については、すでに理論化されたものが発表されており、それに基づいて合理的に制作された作品が多くの実績を挙げている。
ジョーゼフ・キャンベルという米国の神話学者(という肩書きが適切かどうか、私には若干の戸惑いがある)が、世界各地の英雄伝説に共通するものとして導き出した神話のパターンがそれだ。ごくかいつまんで書き出せば、主人公は(1)日常的な世界から異界へ旅立ち(2)驚異的な存在に出会い、決定的な勝利を収め(3)追っ手を逃れて帰還し、故郷に恩恵をもたらす――というものだ。桃太郎や一寸法師もこの通りだと分かる。
「スターウォーズ」がこの理論に基づいて制作された作品だったことから、キャンベルは一躍エンタテインメント界からの注目を浴びた。最近のハリウッド映画は、この理論に沿って合理的な考察のもとに脚本が書かれるだけでなく、予め専門のアナリストによってストーリーが評価され、投資が決定されている。効果のあるノウハウとして確立しているのだ。
ところが、そのハリウッドでも脚本家や作家の中には、クリエイティブのプロセスを合理的に分析することを嫌い、この理論に耳も貸さない人も多いと言う。曖昧さの中で悶々と考え、偶然のひらめきを尊ぶ風が根強いのだ。テレビドラマや邦画を神話のパターンの視点で観ていると、その傾向は日本でも強そうに感じる。
さて、この神話のパターンは、企業のコミュニケーションでも活用できる。経営者の伝記、社史の紹介、そして新しい商品の開発物語などに応用しやすい(NHK「プロジェクトX」の多くの回が、このパターンに合致している)。しかし、実際の活用事例にはなかなか出会わない。
知り合いのコピーライターによれば、氏の知る限りにおいては「広告クリエイティブの現場は理論のない世界」だと言う。AIDMAモデルはじめ、広告の必要性を説明する理論は多い。しかし、クリエイティブの段階では「センス」という曖昧さと経験が重視され、理論に基づいて合理的に制作する姿勢を嫌う人は多いようだ。
科学的知見と理論に基づいて作った製品を「勝利」「恩恵」として宣伝するなら、そのタイプの人たちに任せるのにはリスクがありそうだ。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。