瓶詰めしたワインの熟成には、瓶の外からの空気の(若干の)流入が必要か否か――そんなことの議論がまだ続いている。外気が必要と考える向きは、「従ってワインボトルの栓はコルクでなければならない」と主張し、熟成にはワイン中の溶存酸素で十分で外気は必要ないと考える向きは、「スクリューキャップこそワインの熟成を安定させ長く品質を保つ」と主張する。
両陣営とも、この問題に対して自然科学的なアプローチを試みてはいるが、実験に長い時間がかかる上、実験結果の評価は官能に頼る部分も多く、誰もが納得する決定的な結論は未だ提出されるに至っていない。
ただ、大まかな情勢を言えばスクリューキャップは増えてきている。2000年に米国ナパのPlumpJackというワイナリーが高級ワインにスクリューキャップを採用したことがニュースとなり、その後も米国やオーストラリアなどを中心に、高級ワインにスクリューキャップを採用するワイナリーが増えてきている。オーストラリアではもはや主流と言ってもいい。
ワインの世界にこのような議論があることを初めて教えてくれたのは、菊屋大久保酒店(東京・小金井)の大久保順朗氏だった。氏は、輸入ワインに多い品質劣化の原因を調べ、それが港湾での野積みや、コンテナ船船内の高温(燃料重油を送る配管を加温するなどのため船倉は相当な高温となる場合が多い)によるものと見抜き、ワイン輸入業者にリーファー・コンテナの使用を呼びかけた人だ。
その大久保氏から、「おいしいワインを選ぶなら銘柄や生産年の勉強をする前に、吹きこぼれを起こしたボトルをつかまないこと」と教えてもらったのが、十数年前。高温や急激な温度変化にさらされて吹きこぼれを起こしたボトルワインは、吹いた後に入った空気中の酸素によって酸化などの劣化を起こしている場合が多い。それをキャップシールの汚れや液面の低下などによって見分けるのだと教わった。
しかし、そもそも吹きこぼれが起こるのはコルク栓のせいではないのか。ワインスノッブの気持ちを薬にしたくもない私は、「いっそ王冠でしっかり閉めてしまえばいいのに」と言ってみた。すると大久保氏は「気付いてしまったね」とでも言うように私を一瞥し、「でも、そうしたら世界中のソムリエが失業しちゃうよ」とやや困った顔で笑った。そして、瓶内熟成にはコルク栓を通して外気に触れる必要があるとする説があり、それがむしろ主流なのだと、当時話してくれた。
もとより、大久保氏は瓶内のワインの熟成に外気は必要ないと考える方の人だ。それどころか外気は完璧に遮断すべきで、「そのためにはスクリューキャップでも不完全。今はビールや焼酎などにしか例がないビンディング式圧着栓こそ理想のワイン・ボトルの栓」(大久保氏)と考えている。とは言え、現実に手に入るワインはコルク栓ばかり。そこで大久保氏は、ワイン・ボトルを丸ごとポリエチレン製の風船状の袋に収め、内部に窒素ガスを充填して完全に外気を遮断する方法を考案し、97年に特許を出願。「デファンスール」(守護者)と名付け、この梱包方法の普及に努めている。
大久保氏の説明を聞いた当時、血気盛んな二十代だった私は、スクリューキャップの使用はワインの品質アップとコストダウンを同時に実現し、ワイン需要を拡大するものとして歓迎すべきで、今すぐ世界中のワイナリーが採用すべきだと考えた。それによってソムリエの役割が減ることは、“改革”の効果そのものの一つなのだから、躊躇する必要はないとさえ思った。だからあの時、大久保氏が「ソムリエが失業する」と顔をなかば曇らせたのがなぜなのか、その後も心の片隅に引っ掛かっていた。
しかし今は、その普及は急である必要はないと考えている。スクリューキャップないしビンディング式圧着栓が合理的という考えを支持する気持ちこそ変わらない。しかし、例えばソムリエがワイン貯蔵に心を砕き、おごそかに抜栓して瓶口を丁寧に拭き、お客が難しい顔でテイスティングする――これらの面倒な手順の数々は、実はすべて今日の高級ワインの付加価値に含まれているのだ。
もしもスクリューキャップの使用が、ワインにまつわるそれらの伝統的な付加価値を急激に破壊し、価格を下げて大衆化ないし陳腐化するものでしかないと見られれば、スクリューキャップはワインファンからの猛烈な攻撃に遭い、永遠にワインの世界から締め出されるだろう。
その点、ナパやオーストラリアなどのワイナリーが自社の高級品からスクリューキャップを導入しているということは示唆に富む。その狙いがコストダウンと大衆化にあるのではなく、品質を守り、ワインの価値をより高めることであるとのサインになっているからだ。
GM(遺伝子組換え)作物、農業生産や食品加工での化学物質の使用――人々のそれらへの理解促進や普及を考える際、彼ら先進的なワイナリーの戦略は大いに参考になる。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。