私たちは安全な食生活を求めて、科学的根拠をもとにいろいろな対応をします。例えば高温で食中毒菌を殺す、カビが生えないように保存条件を管理する、などのようなことです。偏食しない、というのも科学的根拠があるといえるリスク管理でしょう。ところが食品分野では、この「科学」がしばしば間違って報道され、実際とはかけ離れた形で一般の「常識」になっていることが、多々見られます。それは日本だけではなく、世界中どこでもそうです。そして、その誤解を解消しようといういろいろな活動もまた、世界中で見られます。私たちに必要なのは報道される内容の科学的根拠について理解する能力、科学リテラシーです。一般の人々に理解を求めると同時に、科学者にはきちんと説明する義務があります。今日から始めるこのFoodScienceの連載では、海外の事例を紹介しながら、その科学的背景について説明していきます。
2007年10月、英国の、一般向けに科学についての理解を広める活動をしている民間団体Sense about Scienceが、「駆け出し研究者が科学を支持するためのガイド」という小冊子を発行しました。この小冊子は、各分野の若い研究者が、自分が疑問をもった商品について、販売業者に問い合わせた経験談を集めたものです。
例えば「我が社の食品に化学物質は使っていません」と宣伝している店に「すべての食品は化学物質からできている」と指摘して「化学物質というのは農薬のことで、我が社の製品は有機食品だから化学物質は使っていない」という返事をもらっています。そしてさらに「有機野菜でも使える農薬はありますけど?」と尋ねると答えられなかったことなどを紹介しています(店の名前も問い合わせた人も実名)。
このガイドでは、そのような科学者の常識を怪しい宣伝をしている業者にぶつけることで世の中のいかがわしい商品を減らし、一般の消費者が騙されることを防ごうという主張をしています。例として挙げられたのは12の商品や業者ですが、そのうち8つが食品やサプリメントです。それだけ食品周辺では根拠の薄い宣伝が多いということでしょう。
米国からは、民間団体である米国科学衛生審議会(ACSH)の設立者、Elizabeth M. Whelan代表の執筆した記事「なぜ、科学者は科学が歪められている時に声をあげないのか?」を紹介しましょう。この記事は、Whelan博士がCNNの取材に応じて「血中にごく微量の化学物質が検出されたからといって必ずしも健康リスクがあることを意味しない」というごく当たり前の主張をしたところ、視聴者から中傷の電話やメールを多数受け取ったという内容です。この記事には読者がコメントできるのですがそこでも批判は続いています。
CNNのサイトに掲載された記事というのは、「子どもの体に高濃度の化学物質があることがわかった」というタイトルで、このサイト、Tests Reveal High Chemical Levels in Kids’ Bodiesに掲載されています。ある夫婦が、2人の子どもの体内にある化学物質を測定するという新しい研究に参加し、当初最先端の研究に参加しているのだとわくわくしていたのだけれど、両親より子どもたちのほうが難燃剤や可塑剤の濃度が高いことを知ってショックを受けた、というストーリーです。
記事では、工業化学物質が子どもたちの病気や障害を増やしていると主張する、環境健康センターの研究者の主張を主に紹介しています。何倍という言い方や難燃剤がラットの甲状腺機能を障害する、可塑剤は不妊の原因かもしれない、という表現はありますが、実際の濃度については記載されていません。動物に高濃度に投与した場合に見られる「毒性」が、すぐにでも子どもたちに現れるかのように伝えています。
実際、食品や空気中には多くの「汚染物質」が含まれ、感度の高い測定法を使えば何らかの数値が出て「検出」されることはよくあります。ここで報道されている難燃剤ですと、カーペットの上をはい回る子ども達のほうが大人より多く暴露されることがあることはよく知られていることです。
ですから重要なのは大人より子どもの方が高濃度かどうかではなく、その量が毒性があると考えられる用量に比べてどれだけだったのか、です。Whelan博士はそのことを指摘しているのですが、工業化学物質が悪いに決まっている、と考える記者や読者には伝わりません。善意で研究に協力しただけなのに、不安にさいなまれる両親も被害者です。
次はオーストラリア・ニュージーランドの例です。乳たんぱく質の一種であるβカゼインの、A2という型を多く作るウシの選別技術で特許を持つニュージーランドのA2社が、自社製品の販売促進のために他社が販売する通常のミルク(A1ミルク)が糖尿病、虚血性心疾患、統合失調症、自閉症の原因となるという中傷行為ともとれる宣伝を行ってきました。
これに対しニュージーランド食品安全局(NZFSA)は、文献調査を行うなどして根拠のない主張であると否定し続けてきましたが、2007年9月、それを支持する本をLincoln大学でアグリビジネスが専門のKeith Woodford教授が出版。これによってメディア報道が増え、国民の不安が大きくなったため、外部評価を依頼することになりました。
この本では、NZFSAがA1ミルクが有害であるという主張を否定してきたのは乳業関係者との癒着のせいだという主張もなされていたため、NZFSAの意志決定の経緯についても評価対象としています。評価結果についてはまだ発表されていませんが、安全局はこれらのネガティブキャンペーンにより、結果的に牛乳全体が忌避されて牛乳の消費量が落ち込むことを心配しています。このミルクの件が話題になっているのは現時点ではオーストラリアとニュージーランドだけで、主にA1ミルクを消費している世界のほかの国ではあまり話題になっていません。
こうした自社製品の販売促進のために、特に何の問題もない同業他社製品をことさら貶めるという戦略はしばしばみられます。しかし、これは消費者を不安にさせ、行政当局に必要のない作業を強いて税金を無駄に使い、最終的には消費量の削減により宣伝を行った当事者にも負の影響が跳ね返ってくるという誰一人幸福にならないであろうやり方です。ビジネスのやり方としては邪道ではないでしょうか。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。