スーパーなどの店頭で「無添加、無農薬、非組換え」をセールスポイントにしている食品が並んでいます。これらを見るにつけ、食品添加物のお陰で腐敗から、農薬のお陰で寄生虫から、私達は解放されたのに……と思います。遺伝子組換え技術のお陰で、人口増加、耕作地減少、食料自給率39%(2006年)でも食料不足にならないで済んでいるのにと思います。食品添加物、農薬、遺伝子組換え技術の誕生の背景と現状(安全性評価など)を正しく理解し、個人の食品の選択に活かすのが、科学リテラシーです。リテラシーとは読み書きそろばんのように、暮らしをより良くするのに必要な能力のこと。この連載では、バイオテクノロジーに代表されるような私たちの生活と接点を持つ科学・技術を、リテラシーの視点から、いろいろな出来事を通じて学び、お知らせし、ご一緒に考えていけたらと思います。
遺伝子組換え作物・食品の研究開発は日本でも行われていますが、多くの市民はそのことを知りません。また、海外から多くの遺伝子組換え作物や加工品が輸入され、私たちはすでにそれらを食べているのにもかかわらず、ほとんどの消費者はそのことを知りません。それなのに、一部の消費者団体などが遺伝子組換え作物に対する拒否反応を示し、日本では、試験栽培ですら、ごく一部の地域を除いてままならない状況が続いています。
このような状況において、08年度科学技術振興調整費の事業「重要政策課題への機動的対応の推進~遺伝子組換え技術の国民的理解に関する調査研究」(研究代表者:筑波大学鎌田博)が始まりました。この研究事業は、遺伝子組換え作物・食品に関する国民理解の現状を調査し、適切な理解の促進を図るためのものです。ゴールは遺伝子組換え技術の国民的理解を促すための提言策定です。
しかし、これは前途多難です。これまでも、遺伝子組換えを拒否する理由を探ったり、有効な情報提供方法を模索する調査・研究、そして提言がなされてきましたが、消費者の拒否感が緩和する兆しは見られません。消費者の拒否感は少しは変化しているのかもしれませんが、行政、流通、食品メーカーに次の一歩を踏み出す勇気がわいてきていないように見えます。この事業は、困難は承知の上で、なんとか消費者の理解が進むように、筑波大学、東京大学、大阪学院大学、NPO法人くらしとバイオプラザ21からの5人を中心とした総勢12人で、調査研究に懸命に取り組んでいるところです。連載初回の今回は、現在、走っている5つの研究内容と進捗状況についてご紹介しましょう。
(1)「国内外のGMO研究と理解増進に関する動向調査と政策提言の作成」
次の4つの研究の成果を、ジャーナリスト、生協関係者などを含むプロジェクト評価委員全員とともに共有化を図り、検討し、09年度末の政策提言の作成を目指しています。
(2)「GMOと教育に関する多角的研究(国内外のGMO教育の実態調査)」
国内外のGMOとその周囲の状況、特に教育の状況を教科の枠組みの検討や教科書の分析などを通して調査しています。またサイエンス&アートなど、科学にあまり関心の高くない生徒・学生・市民にも興味を持ってもらえるような手法についても研究しています。
海外では遺伝子組換え作物の栽培がここ10年間で飛躍的に増えていますが、各国の市民はどのように受け入れているのでしょうか。08年度、フィリピン、ポルトガル、イギリス、中国の研究者や行政官などに、ヒアリング調査を行いました。
欧州は反対している国が多いと思われていますが、ここ数年は共存ガイドラインなどができて、栽培をする国も出てきています。この調査では、飼料(Feed)と食品(Food)のすみ分けがはっきりしていて、遺伝子組換え飼料で飼育された家畜は受け入れられているものの、食品としては認めないという意見があることが分かりました。
サイエンスコミュニケーションの盛んなイギリスでも国内の畜産業のために遺伝子組換え飼料は仕方ないとしても、遺伝子組換え食品に対する市民の受容は高くありませんでした。一方、ポルトガル、スペインでは遺伝子組換え作物と有機栽培などの共存が実現しており、特にポルトガルでは、規模の大小を問わず、区域の分割などで生産者が共存の実現に協力し合っていました。
中国は、遺伝子組換えワタの商業栽培を盛んに行っており、遺伝子組換えイネについても生態系への影響評価や生産性調査の試験栽培を行っていますが、遺伝子組換え食品として正しく理解される状況には至っていませんでした。
フィリピンでは遺伝子組換えトウモロコシの商業栽培も始まっており、国際イネ研究所ではゴールデンライス(遺伝子組換えビタミンA強化米)の商品化も近いようです。国の方針のもと、研究者や教員が、市民への情報提供を積極的に行っている様子を見るにつけ、日本においても国の明確な態度表明が重要であると感じました。
英国、米国の科学館では、遺伝子組換え作物・食品に関する展示があり、そこには、見学後に遺伝子組換え作物・食品の利用に対して賛成・反対を投票する電子投票箱のようなものがあって、投票するとその場でこれまでの来館者の意向などが数字で分かるなど、来館者の興味をそそるような工夫がありました。また、私たちは米国の分子生物学の教育用実験キットを製造している会社を視察し、新しい教材を購入して08年12月に筑波大学において日本の理科教員を対象とした研修会を開催しました。
(3)「GMOをめぐるステークホルダーの構造と相互作用に関する研究」
これまで、ステークホルダーというと「行政や開発者 対 消費者」という構図ばかりが強調され、研究者、流通、生産者などは議論に加わることはほとんどなかったように思います。この事業では、幅広くステークホルダー(関係者)を集めて意見交換会を開き、各ステークホルダーの間で、誰にはどんな情報が不足しているのか、誰にはどのコミュニケーション手法が適しているのかといったコミュニケーションのあり方について検討しています。
08年度は、植物バイオ分野の研究者、生協をはじめとする大手流通業者、生産者などへのヒアリング調査を行いました。分子生物学と生態学の研究者では意見に相違があったり、不分別表示の積極的実施など情報を出していこうとする流通業者と遺伝子組換え原料排除に注力するメーカーがあったり、また耕作規模によって遺伝子組換え作物導入に対する期待感が異なる生産者がいたりするなど、一見同じグループに所属しているように見えても、立場によって捉え方が違っていることが明らかになりました。
(4)「GMOの社会受容を規定する心理的要因に関する研究」
原子力技術の受容の研究結果を参考にして検討すると、遺伝子組換え作物・食品の受容も、信頼関係の有無がかかわっているようです。この研究では、遺伝子組換え作物・食品の受容に影響する因子を想定したモデルを作って調査を進めています。遺伝子組換え作物・食品の受容には、「信頼」「リスク認知」「ベネフィット認知」「生命倫理観」という4つの因子が影響すると仮定し、遺伝子組換え作物と従来の育種技術で作られた作物に対する意識について質問してみました。
全体としては「信頼」が最も重要な要因であること、従来の作物に対しては「ベネフィット認知」が、遺伝子組換え作物に対しては「リスク認知」が大きく影響するという結果になりました。また、事前に基礎知識が与えられていれば、白黒はっきり二極分化するのではなく、状況に応じて考えるといった「リスクに対する考え方」を身につけている方が受容しやすいことなどが分かってきました。09年度は、これについての補完調査を行います。
(5)「GMOに関する理解増進手法の開発」
これまでに、正確な情報が提供されれば、理解が進むと考えられて、講演会が開催されたり説明の冊子などが作成されてきたわけですが、そう簡単ではなかったようです。信頼関係がベースにあって情報が提供されるような場づくりが重要であることが、(4)の研究などから明らかになってきました。
この研究は、これまで行われてきたコミュニケーション手法に関する調査の結果を活かして、情報提供のみの場合と、不分別食品を用いた調理実習といった何らかの作業を伴う情報提供における場合との間で、遺伝子組換え食品に対して安全と感じるかなどの意識の違いを、アンケート調査で探りました。また、その2カ月後の考え方や行動の変化についても、アンケート調査を行いました。共同作業の有無が安心の理解や安心の意識にどのような影響を与えるのか、今年度は母数を増やして研究を続けます。
これまでの研究成果は、日本植物細胞分子生物学会シンポジウム(09年7月、日本大学)と日本植物学会シンポジウム(09年9月、山形大学)で発表する予定です。今年度は課題をさらに深く堀りさげ、遺伝子組換え作物・食品に関して、市民一人ひとりのリテラシーの向上を目指し、提言策定につなげていきます。
このように、日本で遺伝子組換え作物・食品が受けいれられていない現状に対して、市民に働きかけを行ったり、個別の活動を評価(評価手法についても研究)するような、実際的な動きが、少しずつ始まっています。
※このコラムは「FoodScience」(日経BP社)で発表され、同サイト閉鎖後に筆者の了解を得て「FoodWatchJapan」で無償公開しているものです。