昨年、EC(欧州委員会)が新しい育種技術=NBT(New Plant Breeding Techniques)に関する報告書を公開し、研究者、行政、企業を中心に、NBTへの関心が高まっている。NBTが社会に導入されるとき、2つの重要な論点がある。これらの論点を含めて、社会全体への周知と理解をどのように図るべきかを考えていく必要がある。
NBTをめぐる議論
2012年5月14日、日本学術会議講堂において公開シンポジウム「新しい遺伝子組換え~技術の開発と植物研究、植物育種への利用」(※1)が開かれました。いわゆるNBTに関するシンポジウムで、研究者、行政、企業、メディアなど立ち見が出るほど多くの方が参加し、このテーマへの関心の高さがうかがわれました。
2011年5月、EC(欧州委員会)より「New Plant Breeding Techniques」(NBT)という報告書(※2)が公開されました。NBTとは、遺伝子組換え技術を含む新しい育種技術のことです。
NBTの利用と研究は広まってきています。2011年秋には、EU、オーストラリア、カナダ、日本、アルゼンチン、南アフリカの研究者がスペインに集まってワークショップが行われました(米国はオブザーバー参加)。NBTをめぐる情報の共有と規制について議論するためです。
二つの論点
上掲NBTの報告書は主に8つの技術について説明しています。実用化が遠くないものもありますが、まだ研究段階のものもあります。
日本からこのワークショップに参加した筑波大学遺伝実験センター長の鎌田博氏は、NBTを巡る議論には二つの重要な論点があると指摘しています。
1. 遺伝子組換え技術の範囲とその規制について
国によって遺伝子組換え作物(Genetically Modified Orgnisms : GMO)の定義は異なる。セルフクローニング(同じ植物の遺伝子を操作する)、ナチュラルオカレンス(自然界で起る現象)を利用して遺伝子を操作する技術は、遺伝子組換え技術の範疇に入るのか。
2. 検知可能性について
最終的な作物において、行われた遺伝子への操作の痕跡を検知・区別できるかどうか。数個のアミノ酸残基を置き換えたり、数個の塩基を置き換えたりした場合、それを検知することができても、突然変異で起ったものかどうかを区別することはできないかもしれない。
NBTと社会のかかわり
NBTには、今までの遺伝子組換え技術の説明や検知方法が利用できない作物が含まれます。これらについて、誰がどのように遺伝子組換え作物であるかないかを判定するか、また、それを商品として区別すべきか、考えておく必要があります。
鎌田博氏はわかりやすい例として、遺伝子組換え技術で得られた植物を台木として在来種の果樹を接木するケースを挙げています。この果樹に果実が実ったとき、この樹木は全体として見れば遺伝子組換え作物ですが、その果実からは遺伝子組換えの痕跡は見出されません。この場合、検知されないからこの果実は遺伝子組換え食品でないと考えていいのでしょうか。あるいは、結実までのプロセスに遺伝子組換え技術を用いれば遺伝子組換え食品と考えるべきでしょうか。
このあたりの判断は、一人ひとりの考え方によると言えるくらい、十人十色でしょう。科学者、事業者、消費者、それぞれの中に異なる意見があるでしょう。とくに、新しい技術が社会に登場すると、不安を感じて拒絶する人もいれば好奇心も手伝って受容する人もいます。
「科学技術と社会の関係」を研究する学者は、「研究開発の早い時期から、関係するいろいろな人たちが関与して議論していく方法がよい」としています。NBTを活用した作物が市場に登場するには、まだしばらく時間がかかるかもしれませんが、今のうちから議論を始めるための準備は始めるべきでしょう。
NBTをめぐるリスクコミュニケーションをどう進めるか
2011年9月、「遺伝子組換え植物に関する研究基盤構築と理解増進に関する貢献」に対して、教育目的遺伝子組換え実験支援者グループ(代表・筑波大学鎌田博氏)が、日本植物学会賞特別賞を授与されました(※3)。サイエンス・コミュニケーションの大切さが理解され、功績が認められたことは素晴らしいことでした。
とは言え、遺伝子組換え技術への理解の浸透も未だ途上にあります。先端技術の周知をはかり、理解を進めることは極めて難しいことです。
サイエンス・コミュニケーションの立場からは、NBTについて考えるべきことはほかにもあります。
たとえば、この十数年の遺伝子組換え作物・食品のリスクコミュニケーションの反省から考えると、呼び名は「NBT」でいいのかといったことなど。
今回の講演会は、研究者だけでなく、さまざまな人たちがNBTについて知り、共に考えることのきっかけになるようにと企画されたもので、新しい技術についての議論を盛り上げていく機会になりました。総合討論の座長の佐藤文彦氏(京都大学大学院生命科学研究科教授)も、日本学術会議「遺伝子組換え作物分化会」をはじめとする研究者グループは、いろいろな方との議論を適切なタイミングでよく考えて進めていきたいと講演会を結んでいます。
また、早期からの議論が必要だとは言え、本格的な議論はいつ頃から行われるべきか。「国民のNBTへの認知がほぼ皆無な状況での情報発信はノイズにならないか」(日経BP社宮田満氏)という指摘のとおり、どのようなリスクコミュニケーションを誰がいつ、どこで、どのように始めたらよいのか、よく考える必要があります。
しかし、その「時」が迫っているのも事実です。
※1 日本学術会議公開シンポジウムの案内
http://www.scj.go.jp/ja/event/pdf2/148-s-2-2.pdf
※2 New plant breeding techniques. State-of-the-art and prospects for commercial development
http://ipts.jrc.ec.europa.eu/publications/pub.cfm?id=4100
※3 教育目的遺伝子組換え実験支援者グループ 第8回日本植物学会賞 特別賞を受賞
http://www.life-bio.or.jp/topics/topics482.html