前回「ポピュラープライス戦略」のコンセプトを説明しましたが、それはつまり、決して、より所得の低い人をターゲットとしたビジネスという考え方ではないのです。所得レベルがどのようであれ、人であればいつも必要とする商品を分厚く扱おうとすることが、本来の「ポピュラープライス戦略」です。
ポピュラープライス戦略は低所得層向け戦略ではない
しかし、高価格で購買頻度が低いものは、中小・零細の店でも取り扱いやすいものです。何しろ陳列スペースが小さくて済み、小型店舗で対応できます。また、高価でもわずかな仕入れであれば信用が低くても可能です。だから、小規模なビジネスほど高い価格レンジの商品で勝負をしている。
一方、低価格で購買頻度が高いものは、大きな陳列スペースと大規模な物流の仕組みが必要です。全体に要する金額も大きくなるので、会社の信用も必要になる。したがって、新規参入が少ないというメリットがある。
こう見ると、扱う商品の価格レンジが高いところにあるか低いところにあるかというのは、どちらが高級なビジネスかということではなく、単に役割が違っているに過ぎないことに気がつきます。
ところで、「価格決定権を持ちたい」と言う生産者の多くが「プロダクト・アウト」で「より高く売りたい」と考えている人だとすれば、日本の農産物は「ポピュラープライス戦略」から遠ざかっていくでしょう。これは高頻度の優良顧客(customer)を手放すことになります。その究極の形としては、国産農産物は輸出用であったり限られた富裕層や外国人の手土産向けが専らとなり、国民は安価な輸入農産物で食いつなぐということになるでしょう。いえいえ、これこそは農林水産省が盛んに宣伝してきた「食料自給率の低さ」の正体だったわけでしょう。
ポピュラープライスの農産物は不在
では、どのようなレベルの価格であればよいのか。実際の価格は、そのときどきによって変わり、数式で一意的に決まるものではなく、統計等からわかる現実を踏まえた上でセンスを活かす必要があります。いわば、値付けは、実は文学的な活動だと言えるでしょう。
その文学的活動を支援するツールの一つが、価格レンジに名前を付けて、価格を分類するように観察する方法です。例として、私が以前取っていたノートを清書した図を次頁に貼っておきます(故渥美俊一氏の講話や著作などがベースになっています)。
この中で、スーパーマーケットの食品は、ロワーポピュラープライスないしはミドルポピュラープライスを志向していると言えます。ロワーポピュラープライスがどんなものであるかという説明に、「それはアフォーダブル(affordable)である」というのと、「それはときにブラインドプライス(blind price)である」とうのがあります。前者 affordable は「手頃な」といった意味ですが、affordable priceとは週刊誌1冊とか、かつてのタバコ1箱程度の価格が参考になると、よく説明を受けました。blind price とは、売り場でとくに値札を見ることもなくバスケットに入れるようなものの価格です。牛乳や卵などはこれに当たるでしょう。
しかし、今日の日本のスーパーマーケットの青果売り場に、これらロワーポピュラープライス、なかんずく affordable price なり blind price なりと言えるものがあるでしょうか。ほとんど唯一そうだと言えるのは、もやしという工業製品のみです(4月のコラム参照)。
一般の農産物でそれに匹敵する affordable price なり blind price なりの商品を供給できる体制を作ることが出来れば、価格決定権を握り、脱・下請けを実現することは容易となるでしょう。これは逆説的に感じられるかもしれませんが、どのバイヤーよりも一般の生活者のほうが冷酷なはずですから、ハードルは自ずから高くなります。なにしろ、我々は彼らの電話番号さえ知らず、彼らの納得を勝ち取らない限りは話も聞いてくれないわけですから。
※このコラムは日本食農連携機構のメールマガジンで公開したものを改題し、一部修正したものです。