「カサブランカ」と「ラ・ラ・ランド」のコーヒー

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前回に続きコーヒーの話題を中心に。今回は第二次世界大戦中のモロッコの都市を舞台にした「カサブランカ」(1942)と、現代のロサンゼルスを舞台にした「ラ・ラ・ランド」を取り上げる。

フェラーリのターキッシュ・コーヒー

「カサブランカ」は北アフリカの港湾都市の名で、この地で飲食店を営むハンフリー・ボガード演じるリックと、イングリッド・バーグマン演じる今は人妻となった元恋人イルザの再会と別れのストーリー。名曲「時の過ぎゆくままに」(As Time Goes By)のメロディーに乗せ、「君の瞳に乾杯」に代表される幾多の名セリフを交えて描いたメロドラマで、第16回アカデミー賞で作品・監督・脚色の主要3部門を制した、言わずと知れた名作である。

 物語が描く当時、フランスはドイツ軍に侵攻され、傀儡のヴィシー政権のもとで実質ナチス・ドイツの支配下にあった。当時フランスの保護領だったモロッコのカサブランカも例外ではなかったが、そこは同時に戦火のヨーロッパを脱出してアメリカへ渡る中継地でもあった。街ではドイツ兵が幅を利かせていたが、一方で、入手困難な通行証を求めるヨーロッパからの難民であふれ返り、また、ドイツに抵抗するレジスタンスの活動家たちも紛れ込んでいた。そうした状況が、物語の背景となっている。

 リックの店の名前は“Rick’s Cafe American”だが、その実態は裏で賭博場を営むクラブであった。コーヒーを飲ませる店ではなく、店のシーンで出てくるのは酒ばかりだが、本作でのコーヒーの登場シーンは2回あり、いずれも闇商人フェラーリ(シドニー・グリーンストリート)の仕事場である。

「カサブランカ」:通行証の手配を頼みに来たラズロとイルザを闇商人のフェラーリはイブリックで淹れたアイスコーヒーでもてなす。
「カサブランカ」:通行証の手配を頼みに来たラズロとイルザを闇商人のフェラーリはイブリックで淹れたアイスコーヒーでもてなす。

 フェラーリはその名が示す通りイタリア人(ちなみに、ラストシーンが印象的なフランス人の警察署長の名前はルノー)だが、トルコ帽を被っているなどイスラム圏であるモロッコの文化に慣れ親しんでいるように見え、コーヒーの淹れ方もコーヒーの粉と水をイブリック(ジェズヴェ)と呼ばれる専用のポットで煮立てて上澄みだけをデミタスカップで飲むというターキッシュ・コーヒーの作法に則っている。

 コーヒーのシーンの1回目は、イルザがレジスタンスの指導者である現在の夫ラズロ(ポール・ヘンリード)を伴って通行証の入手を頼みに来る場面で、2回目は、旅立ちを装ったリックが店の後始末を頼みに訪れる場面だ。

 このうち1回目のシーンに注目したい。フェラーリはイブリックのコーヒーを、デミタスカップではなく、ミルクと氷の入ったグラスに満たしてイルザに供する。アイスコーヒーである。アイスコーヒーは日本が発祥という説もあるが(※1)、19世紀にモロッコの隣国アルジェリアの都市マザグランで生まれたという説が有力で(※2)、おそらくフェラーリのアイスコーヒーも、マザグランの流れをくむものと思われる。

ワーナー・ブラザース・スタジオのカフェと“ふたつの夢”

 この「カサブランカ」にオマージュを捧げた作品が、現在ロングラン公開中の「ラ・ラ・ランド」である。「セッション」(2004、本連載第101回参照)のデイミアン・チャゼルが監督・脚本を務め、エマ・ストーン演じる女優志望のミアと、ライアン・ゴズリング演じる売れないジャズピアニストのセバスチャンが、“ラ・ラ・ランド(夢見がちな人々が集まる街という意味でありロサンゼルスの別名)”の冬・春・夏・秋という四季を通じて繰り広げる出会い・別れ・再会を描く。

 それは「カサブランカ」や「シェルブールの雨傘」(1964)に似た切ないメロドラマであり、「踊らん哉」(1937)、「踊るニューヨーク」(1940)、「巴里のアメリカ人」(1951)、「雨に唄えば」(1952)、「バンド・ワゴン」(1953)といった往年のハリウッドミュージカルに加え、「シェルブールの雨傘」「ロシュフォールの恋人たち」(1966)といったジャック・ドゥミー監督、ミシェル・ルグラン音楽による1960年代フレンチミュージカルのテイストも含めて描いた、ミュージカル映画史の総決算的な作品と言える。

 第89回アカデミー賞で「イヴの総て」(1950)と「タイタニック」(1997、本連載第144回参照)に並ぶ史上最多タイとなる14部門でノミネートされ、監督・主演女優・撮影・作曲・歌曲・美術の6部門で受賞するなど高い評価を得ている。また、その授賞式では、いったん作品賞と発表されながら事務方の手違いから受賞が取り消されるという珍事も話題となった。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

 幼少時、祖母に連れられ名画座で「赤ちゃん教育」(1938)、「カサブランカ」、「汚名」(1946)といった名作を観たことがきっかけで女優を志し、自室の壁いっぱいにバーグマンのポスターを貼っていたミアが、いつ来るかわからないオーディションのオファーに備えて選んだアルバイトは、ワーナー・ブラザースのスタジオ内にあるカフェのウェイトレス。オーディションに向かう直前、服にカプチーノをぶっかけられたり、グルテンフリーのカップケーキへの客のしつこいクレームに対応したりしながら彼女が働く店の向かいには、「カサブランカ」でリックとイルザが、ドイツ軍の侵攻で騒乱状態にあるパリの街を覗き込んだ2階の窓のセットがそのまま残されている。それは、「絶対いつかあそこに行ってやる!」という彼女の目標になっていたはずだ。

「ラ・ラ・ランド」:ワーナー・ブラザースのスタジオ内にあるミアのバイト先のカフェの前。彼女が指差す先に「カサブランカの窓」がある。
「ラ・ラ・ランド」:ワーナー・ブラザースのスタジオ内にあるミアのバイト先のカフェの前。彼女が指差す先に「カサブランカの窓」がある。

 一方のセバスチャンは、「セッション」の主人公アンドリューのようにこよなくジャズを愛し、かつてハービー・ハンコックが演奏した歴史あるジャズクラブ「ヴァン・ビーク」がサンバとタパスの店に変わるなど、廃れつつあるジャズ人気の現状を嘆いていた。

 クリスマスの夜、彼はチャップリンやマリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン(彼の1955年作品「理由なき反抗」も本作の重要なモチーフ)等の往年のハリウッドスターが描かれた壁画のあるレストラン“Lipton’s”で、「セッション」の鬼教授役J・K・シモンズが演じる店主の命じるままにクリスマスソングをピアノで弾いていた。その彼の指がやがて自然と動き、彼のオリジナル曲である「セバスチャンとミアのテーマ(Mia & Sebastian’s Theme)」を奏で始める。そしてこの「時の過ぎゆくままに」に似た曲が、「カサブランカ」の回想入りのように、“ふたつの夢”の導入となるのである……。

 そして5年後、季節は再び冬。人気女優となり、ワーナー・ブラザース・スタジオにリムジンで乗り付けたミアは、かつて自分が働いていたカフェでアイスコーヒーのサービスを受ける。これが彼女が夢を叶えてバーグマンになった瞬間であることは、この2本の映画をご覧になった方ならおわかりいただけるだろう。

※1:アイスコーヒーは日本発! コーヒートリビア(UCC上島珈琲)http://www.ucc.co.jp/enjoy/trivia/atcl028/ など。

※2:コーヒーを冷やしてシロップなどで味付けした飲み物マザグランの発祥が1830年代ないし1840年代とされている(William H Ukers, 1922 “All about Coffee”など)。これは、日本でコーヒーに関税が設定されて一般的な商品として流通する下地が出来た1877年、国産氷が最初に商業化された「函館氷」登場の1871年、さらに黒船来航の1853年、いずれよりも前のことである。


【カサブランカ】

「カサブランカ」(1942)

作品基本データ
原題:Casablanca
製作国:アメリカ
製作年:1942
公開年月日:1946年6月13日
上映時間:102分
製作会社:ワーナー・ブラザース
配給:セントラル・モーション・ピクチャー・エクスチェンジ
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード(1:1.37)
スタッフ
監督:マイケル・カーティス
脚色:ジュリアス・J・エプスタイン、フィル・G・エプスタイン、ハワード・コッホ
原作戯曲:マレイ・バネット、ジョアン・アリスン
製作:ハル・B・ウォリス
撮影:アーサー・エディソン
美術:カール・ジュールズ・ワイル
音楽:マックス・スタイナー
録音:フランシス・J・シェイド
特殊効果:ローレンス・バトラー
キャスト
リック・ブレイン:ハンフリー・ボガート
イルザ・ラント:イングリッド・バーグマン
ヴィクトル・ラズロ:ポール・ヘンリード
ルノー署長:クロード・レインズ
シュトラッサー少佐:コンラート・ファイト
フェラーリ:シドニー・グリーンストリート
ウーガーテ:ピーター・ローレ
サム:ドーリー・ウィルソン
カール(ウェイター):S・Z・サコール
サッシャ(バーテンダー):レオニード・キンスキー
イヴォンヌ:マデリーン・ルボー
アニーナ・ブランデル:ジョイ・ペイジ
エミール(ディーラー):マルセル・ダリオ
オランダ人の銀行家:トーベン・マイヤー
リックにカジノ入りを拒否されるドイツ人バンカー:グレゴリー・ゲイ
ギターを持って歌う女性歌手:コリンナ・ムラ

(参考文献:KINENOTE)


【ラ・ラ・ランド】

「ラ・ラ・ランド」(2016)

公式サイト
http://gaga.ne.jp/lalaland/
作品基本データ
原題:LA LA LAND
製作国:アメリカ
製作年:2016年
公開年月日:2017年2月24日
上映時間:128分
製作会社:サミット・エンターテインメント
配給:ギャガ=ポニーキャニオン
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:デイミアン・チャゼル
エグゼクティブプロデューサー:モリー・スミス、トレント・ルッキンビル、サッド・ルッキンビル
製作:フレッド・バーガー、ジョーダン・ホロウィッツ、ゲイリー・ギルバート、マーク・プラット
撮影監督:リヌス・サンドグレン
プロダクション・デザイン:デヴィッド・ワスコ
音楽監督:スティーブン・ギシュツキ
エグゼクティブ音楽プロデューサー:マリウス・デ・ヴリーズ
編集:トム・クロス
衣装デザイナー:メアリー・ゾフレス
作詞:ベンジ・パセック、ジャスティン・ポール
作曲:ジャスティン・ハーウィッツ
振付:マンディ・ムーア
キャスト
セバスチャン(セブ)・ワイルダー:ライアン・ゴズリング
ミア・ドーラン:エマ・ストーン
トレーシー:カリー・ヘルナンデス
アレクシス:ジェシカ・ローゼンバーグ
ケイトリン:ソノヤ・ミズノ
ローラ:ローズマリー・デウィット
ビル:J・K・シモンズ
グレッグ:フィン・ウィットロック
キース:ジョン・レジェンド

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。