翌日も好天に恵まれた。観覧車があるエルジェーベト広場を眺めたり、日本では見ない有料トイレを試してみたりはするのだが、「せっかく地球の裏側まで来ているのに、こんなことをしていていいのだろうか」という座りの悪い思いが付きまとう。
せっかく地球の裏側まで来ているのに
人の流れに沿って行くと、人だかりの中にひときわ威容を誇る建物が現れた。地図を見ると5区にある有名な観光スポット、聖イシュトバーン大聖堂だった。昨日までは目にしなかったアジア人観光客の姿も結構目につく。ごついカメラに刈上げの中国人は団体旅行、地図を見てあれこれ話しながら歩く若い2~3人連れは韓国人女性のグループ旅行。日本人の姿はハンガリーでもセルビアでもとうとう最後まで見ることがなかった。
観光旅行とは無縁の筆者としては、名所旧跡を見てみたり知り合いに頼まれたブダペストの銘が入った灰皿を買い求めたりはしてみるものの、いま一つ興が乗らない。ブダペストカードがあるから懐を痛めることなくドナウ川の川下りもできるのだが。日本にいるときだったら、たとえば休日に「湾岸クルーズの無料チケットがある。来るか?」と言われれば鼻唄混じりで浜松町でも横浜港でも駆け付けそうなものなのに、人間の心理というのはわからないものだ。
目抜き通りの土産物屋はあらかた回ったし、今さらアメリカの陽気な観光客の真似をして2階建てバスで歓声を挙げながら通行人に手を振る気にもなれない。さて、どうしたものか。歩き疲れて入ったカフェで思い出した。
「そうだ、あのバーへ行こう」
その名も「アブソルート・パーリンカ」
ハンガリー側と取材先の摺合せをしているとき、筆者が強調したことの一つが「パーリンカをそろえた酒屋と酒場を見せてもらいたい」だった。だが、ハンガリー側は3カ所の蒸溜所とパーリンカの専門店の視察、パーリンカ・フェスへの案内まではしてくれたものの、「パーリンカをそろえたバー」が打ち合わせの過程ですっぽり抜けたままになっていた。通訳嬢がエディットさんから聞いたという「ブダペストでいちばんパーリンカをそろえたバー」がスケジュールから漏れていた。
彼女がメールで添付してくれていた店のFacebookのアドレスに、たしか地図も乗っていたはずだ。カフェでバーの場所を手持ちの地図に書き込んでもらい、今日の目的地が決まった。
筆者の前にようやく目指す店「アブソルート・パーリンカ」が現れたときには、最初のカフェで道を尋ねて歩き始めてから2時間近くが経過していた。
店からの帰り道でわかったのだが、このバーは今朝降りたデアーク・フェレンツ駅から歩いて10分も掛からない場所にあった。もしブダペストでこのパーリンカ専門のバーに行きたい方は、駅で「シナゴーグへの行き方」を聞けば、筆者のように道を聞きまわらなくても迷子になることはないだろう。
ここまで来てしまえば、幕張で毎年開催されている国際食品見本市(FOODEX)で外国人に取材しているのとさして変わらない。安堵のため息とともに「なにか、お奨めを」と頼んでみる。バーテンダーのアンドラーシュさんが初心者に最初に進めているという、チェリーが原料の度数が弱いパーリンカが、パーリンカグラスに注がれた。260種近い品ぞろえのパーリンカからあれこれと選んでもらっているうちにグラスが3つ4つと並んでいく。コアな酒好き同士の話だから言葉の壁も忘れるほどで、あたかも子供が「初めてのお使い」を一人で終えた後のような達成感を感じつつ、メトロの駅に向かう。
バッチャーニ駅からホテルへの帰り道、前日に一度入ったカフェに立ち寄った。外観はブダペスト風にお洒落なのだが、中では小さな街の外れにあるスナックのような会話が交わされるところに親しみを感じていた。
ブダペストのイギリス人
店内で交わされるハンガリー語は一言も筆者にはわからない。それでも常連客の表情と昔は美人だったであろう店のチーママの表情と語調、その後の行動であらかたの意味は取れる。「ママ悪いな、トイレ借りるよ」「たまには飲んでっとくれよ」「そのうちな」「見てくれよ、このロトくじ。あと2つそろってさえいれば俺も億万長者だったのにな……」――たとえば、こんな風に。ツバック社のウニクムの日本未入荷のシルヴァ(プラム)バージョンをこの店で見つけて、甘苦いやつを啜りながら昨日聞いた話はこんな感じだった。
ここに来るまでにパーリンカ・バーへの道を尋ねに入ったカフェやパブで昼からビール、ブラディメアリーにパーリンカが5杯。結構な酒量だが、そこは仕事柄強い酒は飲み慣れている。慣れた風を装ってハンガリーのなかなかうまい「ドレーハー」のビールを頼み、外の席にどっかりと腰を下ろしてくゆらすハイライトがうまい。昨日は見掛けなかった客が「隣、いいですか?」と笑顔で会釈してきた。「あぁ、どうぞ……え、英語?」。聞けばハンガリーにときどき仕事で来るイギリス人だと言う。この店の庶民的な雰囲気が好きで、ブダペストに来たときは定宿から2駅離れたこの店にわざわざメトロでやって来るのを楽しみにしているという。
パーリンカ専門のバーに独りで“お使い”に行くことができた達成感もあって、今日の一部始終を彼に話すと、ややあって戻ってきた彼が笑顔でドレーハーの瓶をいくつも抱えて来た。「これ、店の常連さんから『あのヤパーン(日本人)に俺たちからのおごりだと伝えてくれ』って」店内を見ると昨日見掛けたオジさんたちが笑顔でこちらに手を振っている。
明日はもうブダペストともお別れだ。
協力:ハンガリー農務省/ハンガリー政府観光局