筆者が感慨を噛み締める間もなく、歳の頃三十代と思しきパーリンカ祭の主催者の一人、マールトン・アンドラーシュさんがエディットさんに伴われて筆者の前に現れた。本職はレーザンジャル社のパーリンカのブレンダーだという。いささか感傷的になっていた筆者も取材モードに切り替わる。
王宮の中の初の試み
春はエチメット広場、秋はブダペスト王宮で毎年開催されるパーリンカ・フェスが9年前に始まるまで、ハンガリーで飲食に特化したイベントはなかったという。初めての試みには小児病的なトラブルが生じると、ドイツのグデーリアン将軍も言っている。ライターとしては成功談を書くとしても、その前の苦労の方が書き甲斐があるから少し食い下がってみたのだが「いや、王宮側も面白い試みということですぐに賛同してくれました。今日はハンガリーのパーリンカ業者125社のうち25社が参加しています」とのこと。
会場のある王宮の庭園は日本で言うと中学校のグラウンド位の広さだろうか。決して広大なわけではないのだが、設置してある調度品の一つひとつ、庭園内のそこかしこにある青銅製の銅像から、熟練の職人が削り出したであろう鋳鉄製の燭台に至るまで、さすが王宮と言うべきか作り物では真似ができない“本物感”に圧倒される。
突き抜けるような青空の下、話し込むカップル、朗らかな笑い声が挙がる団体客、カルバス(ソーセージ)売りの声。パーリンカ・メーカーの出店に足を向けると、どのメーカーも待ってましたとばかりに異国から来た筆者に自慢のパーリンカの特徴を説明し始めるから通訳嬢も大変だ。
ひとしきりパーリンカ・メーカーの話をうかがった後、来場していたお客さんたちからも話をうかがうことにする。
笑顔撮影作戦
好天に恵まれた会場を歩き回り、パーリンカを挟んで談笑する人をカメラに収めていく。東欧の人は見知らぬアジア人がカメラを向けただけでは、まず笑顔は見せてくれない。通訳嬢によればハンガリーで知らない人に笑顔を見せるのは服を裏返しに来ているときか破れたストッキングを履いているときで、理由もなく笑顔を見せるのはむしろ失礼にあたると言う。とは言え、会場の楽しげな空気を写真に写し取るためには、しかめっ面を撮るわけにもいかない。筆者はこの日のためにエビフライやらカレーライスやらの小さな食品サンプルと併せて、日本で作って来た秘密兵器を携行してきた。その成果は写真を見て読者にご判断いただこう。
ノルウェーから来ていた老夫婦もパーリンカを前に上機嫌だったが、日本から持参した食品のミニチュアサンプルでようやく撮影のOKを取り付けた若者の一団は、ブダペストの学生たちだった。どちらかと言うと観光客向けというより地元の人向けの集まりらしい。これより規模が小さいパーリンカの祭りは毎月のようにハンガリーのそこかしこで開かれていると言う。
日本では祭りで出される食べ物と言えばたこ焼きか焼きそばが定番だが、そこは肉食の国ハンガリーだけあってテペルト(小さく刻んで炒めたしっとりしたベーコン)や大きさも種類もさまざまなカルバス、パーリンカに付き物のポガーチャなどの屋台フードが祭りを飾る。
ひときわ目を引いたのが、昔のアイロン(火熨斗。中に炭を入れて使う)を使ったハンガリー版のお好み焼き「レペーニ」だった。通訳嬢も初めて見たそうで、ハンガリーに古くからある伝統料理というわけではないそうだが、分厚い小麦粉のクラスト(台)にチキン、チーズクリーム、タマネギ、パプリカ、トマトやパセリを入れて、鉄板とアイロンで挟んで作る様子が面白かった。さして空腹ではなかったのだが、筆者が興味深そうに眺めているのを見て「私が頼みます!」と言ってくれた後、そのボリュームに通訳嬢が悪戦苦闘している。
屋台の列を抜けると城壁の通廊へとつながり、アルコールに火照った肌に山を吹き抜ける涼風が心地よい。ステージではハンガリーの人気バンドの演奏も始まり、祭りはこれからたけなわとなるが、自然光の下で祭を楽しむ人々の写真は撮り終えた。明後日筆者を拾ってセルビアへ向かってくれるオーストリア人と落ち合う王宮前のカフェの位置を確認して、3人で山を下るバスに乗った。
協力:ハンガリー農務省/ハンガリー政府観光局