ソコリチュ・アーコシュ営業部長の案内で裏の作業場に入ると、たまたま収穫して来たばかりのリンゴの破砕作業の真っ最中だった。洗浄したリンゴを2人がかりでコンベアに放り込み、破砕機で潰されたリンゴのマッシュが下に落ちて来る。作業場の中はフレッシュなリンゴの香りが充満している。指ですくってみると、甘さも香りも申し分ない。このまま凍らせば飛び切り上質のソルベが出来そうだ。
果実を漬け込んだパーリンカ
リンゴの濃密なマッシュを蒸溜器のある部屋に送り出す太いパイプがある。けっこう粘度が高いらしく、雨合羽を着た女の子が足元までリンゴのジュースでずぶ濡れになりながら、パイプが詰まらぬようスコップを使って押し込んでいた。
こちらで見せていただいたパーリンカの1本はバーガンディの赤ワインかと見紛うほど深い赤を湛えていた。サクランボを破砕し、酵母でアルコール発酵させて蒸溜したパーリンカに、さらにサクランボを漬け込んでこの色にしたという。チェリーの凝縮した香りとは裏腹に、甘さはほとんど感じない。
蒸溜後の浸漬を可とする規定はAOC(生産地呼称)が厳格なフランスと同様らしく、リンゴを中に入れたカルヴァドスがあることを思い出した。ブダペストの酒屋を一人で回ったときにあちこちで見かけた「ボイホシュ」(BOLYHOS)社は今回は訪れることができなかったが、同社のパーリンカには、原料になった果物の砕片が入れられていた。こういう蒸溜した後にさらに果実を漬け込んだパーリンカはAGYAS(アージャシュ)パーリンカと呼ばれる。
ポガーチャとパーリンカに合う食事
パーリンカの試飲の際に出される小型のパンはポガーチャと言い、塩気が強いもので、中にベーコンなどの肉系のペーストを練り込む場合もある。パーリンカは基本的に食前酒であり、常温のパーリンカをスニフターグラスに似たパーリンカ専用グラスに注ぎ、ポガーチャをつまみながらストレートで数杯飲んだ後に、食事とワインに移行する。40度もある酒を食前酒にすると言うと日本では驚かれる読者もいそうだが、ロシア料理では強いウォッカと共にオリヴィエサラダ(チキンを混ぜ込んだポテトサラダ)やセリョートカ(燻製や酢漬けのニシン)、キャビアといったザクースカ(前菜)を食事の前に楽しむ流れからすれば、特段不思議なことではない。
もっとも、これは飽くまでもパーリンカをじっくり味わう場合のお手本としての飲み方であり、実際にはレストランでグヤーシュ(肉や野菜をパプリカで煮込んだ辛いスープ)を食べながらパーリンカを飲む姿も珍しくはない。
この日最後に訪れたアガールディ蒸留所では「パーリンカを飲みながら楽しめる食事」を提案している。本格的なディナーを出せる厨房とスタッフ、外光を広く取り入れたお洒落なゲストハウスを備えており、ここでリンゴのムースとハンガリーご自慢のフォアグラから始まるフルコースをパーリンカと共にいただきながらトッラシュ・チラ企画部長にお話をうかがった。
その食事の前に、筆者は背広の内ポケットから1枚の紫色のパンフレットを差し出した。ほぼ10年振りで日本からハンガリーのアガールディ蒸留所に里帰りしたこの英文パンフレットには、パーリンカが中性スピリッツからではなく果物を醸造したアルコールで造られていること、そしてハンガリーの国民酒であることが綴られている。パソコンで調べ物を始める前の筆者にとって、このアガールディ社の英文パンフレットはパーリンカに関する唯一の貴重な情報だったことを話すと、トッラシュさんは「そうでしたか」と言って筆者にパンフレットを返してくれた。「あなたにとって思い出深いものでしょうから、大事に持っていてください」と微笑んだ。
この日訪れた3カ所の蒸留所はどこも掃除が行き届いており、蒸溜器やステンレスの貯蔵タンクは一点も曇りがないほど綺麗に磨き抜かれていた。こちらの蒸溜所にはお洒落なギフトショップも併設されており、バカンスのシーズンになるとドイツやオーストリアから来る観光客でゲストハウスの予約がいっぱいになるという。
ハンガリーのウィーン風カフェ文化
取材2日目。この日は午後からブダペスト市内のパーリンカ専門店を視察したあと、その足で市街を一望できるゲッレールト山の頂上にあるブダペスト王宮で開催されている「パーリンカ祭」会場に向かうことになっている。
パーリンカ祭は夕方4時からだし、エディットさんがホテルに迎えに来る午後1時までたっぷり時間がある。前日に見つけておいたホテル近くのカフェで日本から持参のハイライトをくゆらせながら、待ち合わせの時間まで何をするかをしばし考えて、ホテル周辺を散策することにした。
ブダペスト市街のドナウ河畔と王宮までの一帯は世界遺産に登録されており、「ドナウの真珠」「東欧のパリ」と呼ばれるだけあって、ドナウ河畔にあるホテルの周辺は裏通りに回ろうが小道に入ろうが、がっかりすることはない。日本人なら思わずカメラを向けたくなるような古い建物が裏通りの裏通りのそのまた裏通りまで回り込んでも並んでいる。フィルムカメラの時代だったら何本フィルムが必要だったか見当もつかない。フィルムの残数を気にしなくていい21世紀にブダペストにやってきたことを感謝しつつ、見る見るうちにスマホの写真のストックが増えていく。
古い建物の写真を撮っているうちに裏通りに迷い込み、一件のカフェに辿りつく。これは通訳嬢に後で聞いた話だが、ハンガリーはオーストリア・ハンガリー二重帝国(1867~1918)時代に、ユネスコの無形世界遺産に登録されたウィーンのカフェハウス文化の系譜を引き継いでおり、カフェ文化が街に根付いている。観光客がまず来ないような街にも落ち着けるカフェがそこかしこにあり、筆者が迷い込んだカフェでも地元の人たちが朝のコーヒーを楽しんでいた。
東洋人がそこに紛れていても、好奇の目を向けられることも干渉されることもない。時折周囲で交わされる、筆者には聞き取れない言葉のやり取りで「あぁ、今外国にいるんだな」と納得した。
協力:ハンガリー農務省/ハンガリー政府観光局