ホテルのカウンターで、ハンガリー政府観光局から届いていた「ブダペストカード」というカード型の交通チケットを受け取った。カードキーを入れないと動かない仕組みに戸惑いながらもエレベーターで最上階に登り、部屋に入ると古都ブダペストが一望できた。
着替えて下に降り、1階のレストランに併設されたバーで早速パーリンカの話をうかがい、ハンガリー入国後最初のパーリンカを味わって部屋に戻った。
翌朝、朝食をとりに廊下に出ると、向かい側の廊下の窓からドナウ川とランドマークの国会議事堂が見渡せることがわかった。国会議事堂の美しさは格別だが、夜が明けるとライトアップは終了してしまう。空が明るくなってきてからライトアップが終了するまでのわずかのタイミングで、翌朝からはスマホを構えるのが朝の日課になった。
背広が苦手な筆者の背広姿
取材用のカメラを準備し、背広を着てロビーで待つ筆者の前に現れたのはハンガリー農務省のエディットさん。快活な方で、英語に苦戦しながらも今日のスケジュールを説明し、通訳嬢が道路工事の交通渋滞で遅れることを伝えてくれる。
「東欧の真珠」と呼ばれる古都ブダペストを愛し、国民酒パーリンカを含む“ハングリカム”(ハンガリー的なもの)を愛するブダペストっ子だ。銀行を辞めて自ら志願し、ハンガリーのパーリンカ関係の普及・広報を一手に引き受けるバリバリのキャリアウーマンだという。彼女ともう一人、今回の視察のハンガリーで一緒に動いてくれたのが、今年の幕張FOODEXのハンガリー・ブースで日本語通訳をしていた縁で知り合い、渡航前の骨が折れるハンガリー政府との交渉まで引き受けてくれたアンドレアさんだ。
エディットさんが手配してくれたハンガリー政府の公用車で早速第一の蒸溜所に向かう。この“公用車”にはちょっとしたエピソードがある。出発の10日ほど前に通訳嬢から届いたメールには、2カ月近くの交渉の末にようやくハンガリー側の直接の担当者に接触できたことと併せて、蒸留所視察のためにハンガリー側が公用車を手配してくれたことが興奮気味に綴られていた。
さて、困った。筆者はイベント関係でもなければ背広は着ない。一日中革靴という、日本のサラリーマンなら普通のいでたちにも閉塞感を感じるから、イベントが終わるが早いか随分くたびれた背広を脱ぎ棄てて私服に着替え、革靴を運動靴に履き替えて「やれやれ」と安堵する方だから、今回も製造現場の視察と果樹園の視察程度だから私服で行こうと決めかかっていた。
ところが今まで通訳嬢が押しても引いても動いてくれなかった観光局の態度が急変し、公用車まで出してくれるという。筆者が背広姿でロビーに降りて来たのには、そうした背景があったのである。
たっぷりのフルーツで醸す贅沢な酒
筆者とエディットさん、通訳嬢を載せた緑色のフォルクスワーゲンは収穫を終えた果樹園の中にある2階建ての典型的なヨーロッパ家屋の前に停車した。出迎えてくれたツィーメレシュ蒸留所のヨー・ゾルターン社長の話では、周辺の果樹園で収穫された果物がここにそのまま運び込まれるという。
蒸溜器は220ℓの単式に4層のコラムの連続式が一式になったものが2基。たとえば日本のウイスキーの故郷であるサントリーの山崎蒸留所にはいちばん小さいものでも8kℓ、大きいものでは12kℓの蒸溜器が初溜・再溜併せて12基あり、スコットランドで特例を除けば最小規模の蒸溜器を持つエドラダワーでも1,800ℓだ。ツィーメレシュより大きいアガールディ蒸留所でも蒸溜器は5層コラムと450ℓの単式だから、その小ささがわかる。
昨今のバーでは個性的なジンを造るマイクロ・ディスティラリーがブームを超えた確実なムーブメントとして定着しつつある。こういう業態ではむしろ“小ささ”を武器にしてナショナルブランドのジンとの差別化を図っているが、ハンガリーのパーリンカは期せずして洋酒好きの嗜好を先取りして各蒸留所ごとに個性的なパーリンカを造っていることになる。
もう一つ、パーリンカの品質を証明する数字がある。ヨー・ゾルターン社長にうかがった、主力商品である500mℓのパーリンカ1本に使われている果物の重量だ。ブドウ3kg、プラム5kg、サワーチェリー5kg、アンズ6.5kgにも驚くが、ラズベリーに至っては1本造るのに12.5kgの果実が使われているという。
比較として、海外では「プラムワイン」として販売されている日本の梅酒がどのくらい梅を使っているかを、知り合いの居酒屋に尋ねてきた。1kg(およそ1ℓ)に1kgの梅が標準だというから、製法の違いはあるものの500mℓ換算で500gということになる。これだけあれば十分香りが出るにもかかわらず、パーリンカではその10倍以上の果物を使われているわけで、どれほど贅沢な造られ方をしているかが読者にもご理解頂けるだろう。
ハンガリーで味わった日本
ハンガリー国内には125社のパーリンカ蒸留所があり、なかには瀟洒で清潔なゲストハウスを備えたところも5社あるという。ここではハンガリーの人がなにか祝い事、たとえば子供の誕生祝や就職祝い、老いた両親の長寿祝いを行うほか、ツィーメレシュ社では政府関連のパーティーから結婚式まで、周囲の緑が見渡せるテラスで行われることがあるという。なだらかな丘の向こうまで続く緑の中に、漆喰とニスをかけた木で造られた家屋というのがハンガリー人の好みらしく、人数が増えると半地下のレストランでは収まりきれず、放牧された馬が草を食んでいる姿を眺められる場所に仮設テントを張ってパーリンカと料理を楽しむ宴も開かれるという。
ここで造られたパーリンカはさまざまな賞も受賞しているのだが、昨年は日本の「陸奥」で造ったアルマ(りんご)のパーリンカが賞を取ったという。蒸溜器のサイズからもわかるようにパーリンカは1回のロットが少ないので残りわずかだという、そのパーリンカを味見させてもらう。カルヴァドスとも異なる爽やかな香味と共に、意外な場所での日本との再会を味わって、次の蒸溜所に向かう。
次に向かったのは、広大な自社果樹園に隣接するノビリス蒸留所。こちらも果実を収穫してから数時間で新鮮な果物が運び込まれてくる。日本で田んぼの真ん中にある酒蔵や麦畑の中にあるウイスキーの蒸溜所というのは聞いたことがないから、非常に珍しく感じる。
名を守ることが品を守ることに
ハンガリーのパーリンカはEU法(The Regulation EC No110/2008 decree2 No9th category)によって厳格に製法を規定しており、他国の果物を使った物や果物以外の素材を使った物はパーリンカと呼ぶことはできない。また、パーリンカの品質に関しても同法で定めており、生の果物以外で着色・着香した物もパーリンカとは呼ぶことはできない。
東欧各地にそれぞれ異なるフルーツブランデーの呼称があることは本稿の第1回で述べたが、ハンガリーの「パーリンカ」という呼称へのこだわり方は並大抵のものではなく、EUでハンガリーの念願かなってハンガリーにパーリンカ呼称が認められたのは2002年7月1日のことだった。グラッパ(イタリア)、コルン(ドイツ)、ウゾ(ギリシャ)と並んで、原産地呼称を獲得したことになる。
これには少々解説が必要だ。フルーツブランデーは、たとえばルーマニアでの一般的な名称は「ツィカ」だが、便宜的に「スリヴォヴィツェ」と呼んだり、「ラキア」(ブルガリアやセルビアでのフルーツブランデー呼称)でも通じる。その事情のなか、現地呼称をEUという国を超えた公的機関で認める場合、必然的にパーリンカの定義が問題になってくる。そこで、「パーリンカ」の名を守るために規格が定められたわけだが、それゆえに、この規格によることになった2002年は、従来自家蒸溜が一般的で品質も玉石混交だったパーリンカにとって、品質向上の点でも大きく飛躍した年と言えるかもしれない。
その後も、2004年にハンガリー初のパーリンカ品評会が行われて、その年の最優秀作品を選ぶ競技会が開催されるなど、海外から見てもわかりやすい品質向上への努力が現在も続いている。
協力:ハンガリー農務省/ハンガリー政府観光局