あんかけスパの食後のコーヒーは、「コメダ珈琲店」へ。次の取材まで時間があったこともあり、少しのんびりすることに。堀勝志古さん、「コメダの中でもこの店が落ち着く」と、わざわざ5分ほど車を走らせてくれた。
名古屋市内の、歴史のありそうな店。私の場合、「コメダ珈琲店」というと、小さなファミリーレストランのような、規格化された(悪い意味ではありません)インテリアを思い浮かべがちなところ、このお店は昔懐かしい喫茶店の雰囲気。壁も床も年季の入った木の質感が生きていて、テーブルや椅子は使い古した感じ(これももちろん良い意味で)だった。あるテーブルはテレビゲーム機で、猛烈に懐かしさを感じる。
接客も、名駅一帯の地下街などで行き着く店の、マニュアルで安定したタイプのものとはちょっと違う、生業店、家業店の貫禄がほのかに漂うゆったりとした、というよりのんびりとしたもの。それで、とても和む。
「ゆったりするにはここ」と、確か堀さん言いましたよね? 本当にそんな感じ。
「月刊食堂」の編集者だった頃、隣の「(今はなき)Food Business」の女性編集者が言っていたことを思い出す。彼女は三多摩の出身。高校、大学時代に友達と「デニーズ」を利用する際、TPOによって店を使い分けていたと言う。女友達とおしゃべりするなら○○店。男子も混じって大勢のときは○○店。デートっぽいときは○○店。「同じデニーズでも、使う側にとっても違うものなの」と、彼女は言っていた。
高校時代、身の回りにチェーンレストランなるものがほとんどなかった田舎者の私としては、「なるほどー」とうなずくほかなかったのだけれど、それはなんとなくわかる。三多摩には創業時のタイプから、フリースタンティング初期のタイプ、ビルインのタイプまでいろいろな型の店がある。しかも、繁華街とロードサイドと立地もさまざま。同じロードサイドでも住宅地の中と、幹線道路沿いと、一様でない。それぞれに雰囲気は違うし、お客の層も、働く人の年齢なども異なる。店の構造によって、接客の濃淡も違う。これ、「デニーズ」がメニューを細分化する前の話で、商品は全店で同じなのだけれど、店はそれぞれに違う。確かに違う。
その見方が、チェーンストア理論の急先鋒たる上司に理解されず、彼女はかなり苦労していた。業態は客単価で区別するもので、同じ客単価ならばお客は同じと見よというのが旨だったと思う。私も、最初の頃はそういうクールでドライで大人っぽい事業の理解の仕方に魅力を感じていたのだけれど、(諸先輩方に比べてわずかとは言え)経験を積むにつれて、それで説明できないことが多いと気付くようになってきた。バカげた遠回りかもしれないけれど、それはそれで価値のあることだったと思う。
レストランは、チェーンレストランであろうとも、個々の店の独自の魅力が必要なのに違いない。個性を喪失して透明化した店は、お客に見出されない。そうそう、透明人間というものがもしいるとしたら、理論的に彼に視覚はないという。透明な店では、お客を見ることもできまい。
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。