テレビで「サクランボが旬を迎えている」と言っていた。アメリカンチェリーは5月から出回っていたけれど、国産は今頃だったかと気付く。
サクランボは、数カ月前に今まで知らなかったことを知って、この時期を楽しみにしていた。鹿島茂の「クロワッサンとベレー帽」の「ア・プロポ」というエッセー集の中に「サクランボ」という項目があって、こんなことが書いてあった。
フランス人は、サクランボが出回る頃に「幸福感」のボタンが押され、それが2~3カ月続くのだという。それが5~6月頃。だから、彼らにものを頼むならこの時期に限る由。
こういうの、なんだか分かる。昔上司だった青森出身の人が、私が函館出身と知って、「お前も1年の3分の1(とかなんとか。とにかく多いという意味)は曇り空の下で育ったのか!」と言ってくれたことがある。「お前もオレと同じネクラ野郎だな」という意味だ(やれやれ)。まあ、それだけ春から夏の晴天を恋しく思う地域ということなのだけれど、函館の6月から7月の清々しい季節というのは、それまでの待ち遠しさもあって、今でも格別に思う。最近は温暖化の影響で思わしくない天気の日も多いと聞くけれど。そういう時期に、実のものが店頭に並ぶと、確かになんともわくわくしたもの。
そして、フランス人はこの時期に恋をする。恋人とサクランボ狩りに出かける。そのはかなくも幸せな季節を歌ったのが、「さくらんぼの実る頃」というシャンソンだって。知らないなーそんな歌、と思っていたら、「紅の豚」で加藤登紀子が歌っていた歌だって。それなら分かる。はかないねえ、飛行機野郎どもが夢の跡。
しかし、懐かしいなあ。40年も前の幼稚園の頃、この時期になるとお弁当にサクランボをタッパーに入れてくる子が何人もいて、女子はふたまたになったものを耳にかけて遊びながら食べていた。ばっちいね。でも、「さくらんぼの実る頃」の歌詞でも、女の子たちがサクランボで「胸や耳を飾る」とあるらしい。胸?
ところで、フランス人もサクランボ食べるんだ、と思っていたら、「地下鉄のザジ」にもありました、サクランボ。タクシー狂のシャルルについて。「彼の春のサクランボを進呈するのにふさわしい」女性を、彼は何年も探している、という文章が出てくる。これなど、いよいよなまめかしいスラングめいている。
サクランボの歌はほかにも。「黄色いさくらんぼ」(古いなー)でしょ、大塚愛の「さくらんぼ」でしょ……。どれも、ちょっと背伸びぎみの艶のある歌。不思議な果物。
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。