4月20日頃、宮崎県に用事があって空路向かった。空港から列車に乗ったところ、沿線の水田に早くも水稲の苗が植わっていて驚いた(右写真)。早稲だろうか。ゴールデンウィーク前に移植を終えるというのは専業農家らしいが、条が左右に踊っているところを見ると、まだ若い人なのかも知れない。はたまた小学校の手植えの実習田か。そんな勝手な想像を巡らせながら田畑を見るのが楽しい。
茨城県牛久市の高松求さんは、圃場(水田、畑、ハウスなど作物を栽培する場所)作業をする際、“直線”にこだわることの大切さを力説する。「真っ直ぐ走れないようなのは、農業やめちまえって言うんです」となかなか厳しい。
真っ直ぐなウネを立てること。播種や移植をする際、真っ直ぐな直線上に並べていくこと。曲がれば作物ごとに日照に差が出たり、降水時に水の流れが乱れる。隣の作物と間隔の空いた位置には雑草が出やすくなる。後で農薬を撒いたときに、薬のかかり方にムラが出る。また、機械除草(棒状、刃状などの器具で圃場表面をなでたり、掻いたりすることで、若い雑草を倒したり、表土を乾燥しやすくすることで雑草の発芽を抑制する)をかける際、器具の当たりが不正確になる。収穫の際には、ハーベスタなどの収穫機の走行や動作に支障を来たす。そうした不都合は、いずれも経営にとって致命的なものになる、と高松さん。
「そうですね」と相槌を打つのは簡単。実際にやるのは全くたいへんなことだ。トラクタに乗って、どんなに遠くを見ながらこまめに操作しながら走っても、素人の私などでは曲がる曲がる。一度曲がって走行位置がずれてしまえば、そこから復元できたとしても、曲がって戻ったその軌跡は消せない。
プロの農家は、最初からずれない。そんな操縦を、たとえばプラウ(土を掘り起こして、下の土を上に、上の土を下に反転するように耕していく農機具)や機械除草機などを牽く場合など、終始後ろを向いたまま、ずいずいとこなしていく。畦畔からその様子を見ていると、ほれぼれとしてしまう。飛行機のアクロバットを見ているようだ。
北海道の農家には、さらにすごい人がたくさんいる。広大な圃場は高さが均一ではないところもあり、丘もあれば、谷もある。それによって表面積にも違いを生じているし、トラクタが右なり左なりに傾斜したまま走行することもある。そんな起伏のある圃場を見事に真っ直ぐに走り、大地に美しい縞模様を描いていく。トラクタが走って折り返し点に達するまでの道のりは数百mではなく数kmなどという圃場もあるが、それでも真っ直ぐに走る。
彼らにとって、後で別の機械が入れないということになれば、失うものの量が破格のものとなる。北海道旅行で見る、あの大地の美しい縞模様の裏には、そんなのっぴきならない真剣さが込められている。
トラクタのボンネットには、照準器のような突起が付いていて、それを見ながら走らせているのだが、これはせいぜい射的の空気鉄砲の先端の突起程度のもの。本当の照準器は、トラクタを駆る農家その人の体だ。
やったことはないが、弓道の弓にも似ているのだろう。洋弓には照準器の付いたものがあるが、和弓にそれはない。心と体を統合した果てに、弓道家の手から自然に矢は離れ、自然に的の中心に突き刺さるのだという。何度か上手な農家のトラクタにしがみつくように同乗させてもらったことがあるけれど、彼らの操縦に接していると、これはすでに弓道や書道のように“道”の領域なのだと感じさせられた。
一方、最近はGPSやレーザー誘導などの技術を農業機械に導入する動きが活発。無人トラクタなども開発されていると聞く。そんな動きを、“道”の領域にいる農家は「けしからん」と言うかと言えば、そうとも言えない。たとえば高松さんなら、目を輝かせて「実演を見せて」と言うだろう。それで経営が改善するならば(費用対効果が適正なものならば)、喜んで導入も考えるだろう。
かつて、エンジンの載ったトラクタが売り出されたとき、邸宅が建つほどの大金を払い、ムラで最初にそれを購入した家は、ムラでいちばん馬を大切にしていた家だったと言う。
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。