JR東日本は、87年の国鉄民営化以来業績を伸ばし続けてきた。99年頃から伸びは鈍化しているが、JRグループの稼ぎ頭であることに変わりはない。首都圏というドル箱を持つこともさることながら、技術革新、それによるスピードアップ、効率化、サービス力の強化があっての結果だ。
しかし、同社が増収増益に向かって邁進すればするほど、グループ内のある企業がじり貧に追い込まれてきたということは、意外と知られていない。列車食堂と弁当が主力の日本レストランエンタプライズ(NRE、旧日本食堂)のことだ。
列車の高速化、客室の居住性向上に伴って列車食堂の存在価値は薄れ、消えていった。弁当も無事ではない。新幹線の延伸や特急の高速化で、旅行者は朝食をとってから乗車し、目的地で下車してから昼食をとるようになった。また、こうした内部からの“改革圧力”に加え、外食やコンビニなど、年々競合も増えてきた。
NREの弁当そうざい部門を担当するNRE大増の白田義彰社長は、「駅弁は大阪万博の70年がピーク。それ以降は99年まで、一貫して売上げが落ち続けてきた」と、打ち明ける。「そのまま同じことを続けていたら、間違いなく潰れていた」。
NREは、ホテル、レストラン、老人ホームなどへの多角化もしている。ここでクールかつドライに投資効率だけ考えれば、駅弁からの撤退という選択肢もあったに違いない。
だが、彼らはそうした道は選ばなかった。「確かに駅弁は衰退産業。しかし、旅の楽しみとして、駅弁という文化の火を消すわけにはいかない」(白田社長)と考え、俄然駅弁のてこ入れにかかったのだ。
最初は、低価格路線も探ってみたが、お客の反応は返って悪かった。
市場は全く逆の方向にあった。「空腹を満たすための“買わざるを得ない”弁当では、コンビニとの不毛な戦いになるだけ。むしろ、“是非買いたい”弁当にこそ市場がある」(同)と考え、99年からは、高付加価値弁当の開発に全力を注いだ。
それまでの駅弁の売れ筋は800~1000円の価格だったが、1300~2000円の商品を充実させた。さらに「極附(きわめつき)弁当」として3800円の商品まで揃えた。「50~60代の主婦グループがターゲット。たまの旅行で“少し贅沢をしたい”と思っているお客様に、思い出になるような弁当を」(同)というコンセプトのもと、ボリュームよりも副菜の品数や、食材の情報という付加価値に力点を置いた。
このため、秋田県の4軒の農家との契約による有機認証米を使い始めた他、野菜、肉、魚介類も、生産法や安全性に特徴のあるものを集めた。弁当の包みを開くと、それら食材の一つひとつについて説明した“お品書き”が現れる。お客はこれを見ながら味わうことで、カロリー源ではなく食文化としての満足を得る。
この路線は大いに支持され、現在、これら高付加価値タイプのラインが、弁当類の売上高の2割を占め、発売以降弁当全体の売上高は30年振りに回復基調に転じ、現在も毎年10%増で推移している。
このような商品が開発できたことは、JRグループにとっても意義がある。「少子化で通勤の需要は減少傾向。今後の鉄道の成長のカギは、いかに余暇の需要を伸ばすか」(同)という環境下、“旅の楽しみ”を創造することが重要になってきている。
とかく“文化”とは“営利”と相反するものと考えられがちだ。“文化を守るため”には税金や寄付が必要だという思い込みも多々見られる。
だが、この駅弁復活物語によれば、文化とは、それを大切だと考える人々がビジネスを通じて守っていくものなのだと分かる。彼らは民営化し、投資効率を追い始めたパートナーに不平は言わなかった。それどころか、今は力強い伴走者となりつつある。
(本稿は「農業経営者」2006年1月号に寄稿したもののオリジナルの原稿です。編集部の手違いにより、掲載誌には複数箇所の誤りがあります)
※このコラムは個人ブログで公開していたものです。