客単価が一定レベル以上に高額であると利用頻度が低くなるのは、可処分所得に対して一度の利用額が高額であれば利用可能な回数が減るのは当然と思えるわけですが、それはある意味結果論ではないかというお話をしました。
「サービス料」は“完済”の安心感を生む
客単価が高額になると利用頻度が減ることのもう一つの説明として提案するのは、お客の心理に関することです。利用頻度を直接的にコントロールしているのは、人の心、店に関して抱く印象ということもあり得るはずです。
ここでお話しするお客とは、IT長者やセレブの類ではなく、普通に働いて普通の所得を得ている人と考えてください。その人がある料理店で、料理そのもの、そしてそれを食べる体験=食事に、感動したとします。珍しいものを食べた、手の込んだものを食べた、独創的な工夫のあるものを食べた、そのときの給仕のされ方も不足なく、むしろ機知に富み、満足度の高いものであったとします。
これは当然それなりの支払いをして報いねばならないと思うでしょう。そして、伝票を見てみたら2万円とか5万円とかの金額であった。お客はなるほどと思ってそれを支払う。食材も高価であったろうし、店の中でも何人もの人がしっかりと働いてくれた。それに対してその金額を支払うのは当然だと思うでしょう(思われなかったらおしまいです)。
この「当然だと思う」ところがミソです。よいものが出て、よいことをしてもらって、それに対して当然の支払いをしたとき、お客の心には何が残るでしょう。「当然のことをした」と思うのです。つまり、「十分報いた」という満足感が残るのです。高額な食事をしたとき、お客は「借りは返した」感覚を持つのです。
そのとき、伝票に「サービス料」を明示することはどんな効果をもたらすでしょう。
ここで前々回に提示した、日本で「サービス」という言葉が持つ3つの意味を思い出してください。
●「サービス」という言葉の意味
(1)単純に食事の注文を取ってそれを的確に提供するという機能的な意味での給仕。
(2)お客に情緒的な満足を与えるもてなしを意味するホスピタリティ。
(3)値引きを意味する“お負け”“勉強”。
「サービス料」を可視化することは、それについて支払う金額が(1)の機能的な意味での給仕の対価であると強調することになるでしょう。しかも、その場合のサービス料は、相応に高額なものに見えるでしょう。そのことは、この「借りは返した」感覚を補強することになります。
「借りは返した」「支払いきった」この満足感を、こうした店を利用したお客は持ち帰るはずです(ちなみに、さもなくば、「不当に高い金額を取られた」と思われることになりますが、この場合は当然二度と来店しないことになります)。
さて、「たかが料理、されど料理」という具合に、一度の食事は一度の食事で、この人も翌朝にはまたお腹がすきます。お昼も食べます。一杯引っかけて帰るかもしれない。そのときの外食の支出が、500円とか1000円だった場合はどうでしょうか。近隣の人のよさそうな人がやっている定食店でワンコインで満足してしまった。あるいはたっぷりのんでおしゃべりして2000円でお釣りが来てしまった。
そのときどうか。やはりおいしいものを食べて、しっかり働いている人を見て、そういう金額だったとき、もちろんモノによる、店によるわけですが、「報い足りないのではないのではないか」「借りが返せていないのではないか」と感じることがあるはずです。しかし金銭の支払いはそれで済んでしまった。それでもあがなえなかった分をどうするか。そこでお客は「ごちそうさま」「おいしかった」「ありがとう」と、店の人以上に“お愛想”をし、さらに「また来ます」とも言い、実際また来てしまうのです。
チップ、チャイ、心付け、あるいはサービス料のない店の強みはここにあります。お客に対価を支払い切らせない。“報いきれていない”感覚を残させ、いわば、お客に貸しを作る。これが再来店につながるわけです。
繁盛店はお客に支払い切らせない
最近は企業間の支払いは銀行振込で行われるのが当たり前になり、ゴトオビに集金に行くということが減っています。しかし、営業の人が毎月集金に行くのが当然だった頃には、こんなことがありました。支払う側が、「おう、今日は全額支払ってやるぞ」と言ったら、集金に来た営業が泣きそうな顔をして「それは勘弁してください」と言う。それはどういうことかと言うと、そういう時代、支払い切ることは、見限る、取引先を変えるということを意味したわけです。
それと同じように、お客に支払い切らせないことが、関係を保つことにつながるのです。それに対して、伝票にサービス料を明示することは、“支払い切った”感覚を持たせるリスクがあることには気づいておいて損はないでしょう。
小さな店、地方都市の支店経営の飲食店や小規模チェーンには、ここを理解しているか感覚としてしみついているケースが多いものです。こういった店やチェーンは業態や店舗の設計が計算づくで詰め切れていないところも多いので、大チェーンのとくに若い社員は無視したり軽んじたりしがちですが、経営層はそうした店やチェーンを非常に具合悪く、目の上のたんこぶのように見ていることが多いものです。
と言うのも、高価な専門店やホテルにはいくらでも勝てる。それはお互いが金銭であがなえるものの土俵で競っていて、しかも自社のほうが高頻度を狙える低さの客単価だからです。ところが、金銭であがなえるものの土俵に上がって来ない店というのが、大チェーンにとってはやりにくい相手なのです。