川島雄三監督作品のとんかつ

[41]

現在の煉瓦亭の「ポークカツレツ」
現在の煉瓦亭の「ポークカツレツ」。厚切りロースに千切りキャベツを添えライスと一緒にナイフ・フォークでいただく
現在の煉瓦亭の「ポークカツレツ」
現在の煉瓦亭の「ポークカツレツ」。厚切りロースに千切りキャベツを添えライスと一緒にナイフ・フォークでいただく

受験シーズンたけなわ。今回はゲン担ぎの食べ物といわれる「とんかつ」を題材にした川島雄三監督の2作品を紹介する。

とんかつのルーツは銀座と上野

 とんかつは、明治28(1895)年創業の銀座の老舗洋食店「煉瓦亭」が、仔牛の骨つき背肉(côtelette=カットレット。カツレツの語源)を少量の油で炒めた西洋料理を基に考案、明治32(1899)年に発売した「ポークカツレツ」が発祥と言われる、日本生まれの料理である。しかし当初は薄切りの豚肉を使用し、デミグラスソースをかけ、温野菜とパンを添えて、フォークとナイフでいただくという、フランス料理らしいものであった。

 現在のような豚のロースやヒレの厚切り肉を使用し、とんかつソースをかけ、千切りキャベツを添えて、ご飯と一緒に箸で食べるとんかつのスタイルが確立したのは、昭和初期に東京の上野界隈で“とんかつ屋出店ブーム”が起きてからである。

「喜劇 とんかつ一代」(1963)はこのようなとんかつの歴史を踏まえた作品で、「夫婦善哉」(1955。第35回参照)や駅前シリーズ(1958~1969)の森繁久弥と淡島千景が再び夫婦役を演じている。

 フランス料理の名店「青竜軒」のコックだった五井久作(森繁)は、コック長・田巻伝次(加東大介)の息子・伸一(フランキー堺)に後を継がせたいという気持を汲んで店を辞め、伝次の妹・柿江(淡島)と結婚して上野本牧町にとんかつ屋「とん久」を開いていた。

 伝次は久作の気持ちを知らず、フランス料理を捨て妹を奪ったと見て絶縁していたが、父に反抗して新しいスタイルのレストラン経営を夢見る伸一はたびたび彼の店を訪れていた。久作と柿江は、食通を気取っているがとんかつが日本生まれということを知らなかった伸一に、上野のとんかつの歴史を語って聞かせる。

柿江「はじめて厚みが一寸もあるポークカツを売り出したのが御徒町の『ポンチ軒』、昭和5(1930)年に下谷町の『楽天』が『ナタで切るようなとんかつ』という看板を上げた」

久作「ヒレカツの元祖は松坂屋裏の『蓬莱屋』。とんかつのソースは同朋町の『井泉』。豚肉に含まれているビタミンを損なわずに揚げる油を作り出したのが」

柿江「何を隠そう、この五井久作の『とん久』なのさ」

 このうち「とん久」以外は実在の店で、「ポンチ軒」と「楽天」は廃業してしまったが、「蓬莱屋」と「井泉」は現在も上野で営業している。ちなみに「とん久」のセットは「井泉」の間取りを参考にしたとのことである。

 肝心な映画の内容についてだが、クロレラを研究する貧乏学者や豚屠畜の名人、下谷の芸者といったキャラの濃い人々が騒動を繰り広げる川島監督得意の群像喜劇となっている。オープニングの、いかにもおいしそうなとんかつが出来上がっていくモンタージュや、「とんかつが食えなくなったら死んでしまいたい」と森繁が唄う主題歌「とんかつの唄」も印象的である。

●煉瓦亭
http://www.ginza-rengatei.com/index1f.html

●蓬莱屋
http://www.ueno-horaiya.com/hp/

●井泉
http://isen-honten.jp/

庶民の食卓に並ぶ「中食の華」

 とんかつは、外食としてだけではなく、コロッケやメンチカツなどと同様に肉屋が店頭で揚げたものを家に持ち帰って食するものでもある。いわば昭和初期以来の“中食の走り”とも言えるが、安価なコロッケに対してとんかつはごちそうである。これが庶民のささやかな贅沢であったことがうかがえる映画が「とんかつ大将」(1952)である。

 東京の長屋・亀の子横丁に住む青年医師・荒木勇作(佐野周二)は、とんかつが大好物であることから「とんかつ大将」と呼ばれ、長屋の皆に慕われていた。

 給料の入った彼は相棒の艶歌師・町田吟月(三井弘次)と連れ立って、2カ月ぶりのとんかつを食べに吟月なじみの店「一直」を訪れるが、そこへ女主人・菊江(角梨枝子)の弟・周二(高橋貞二)が喧嘩で大けがをして戻って来る。勇作は応急手当をして近くの病院へかつぎ込むが、そこの院長というのが昼間往来で交通マナーの悪さを叱りつけた自動車の主・真弓(津島恵子)であった。

 最初はぎくしゃくした勇作と真弓だったが、真弓の代わりに手際よく手術をこなす勇作の姿に次第に打ち解けていった。昼飯を食いそびれた勇作と吟月は長屋に帰り、盲目の娘・お艶(小園蓉子)と三人で菊江のお礼のとんかつの折詰を添えた食卓を囲む。しみったれた長屋の夕飯が、とんかつが加わるだけでぱあっと華やかになる。

勇作「やっぱりたまにはとんかつ食わなきゃいかんなあ」

 そこにまた急患の依頼が来て「とんかつ大将」は忙しく出かけていくのだった……。

サヨナラだけが人生だ

 川島雄三監督(1918~1963)は、1938年に松竹に入社。「夫婦善哉」の原作者・織田作之助とは日本軽佻派を結成して親交が深く、1944年の監督デビュー作「還って来た男」は彼の原作・脚本によるものだった。

 筋萎縮性側索硬化症という難病に冒され、歩行等に障害を有しながらオリジナリティに溢れる喜劇・風俗劇を量産。1954年に日活に移籍し「洲崎パラダイス・赤信号」(1956)、「幕末太陽傳」(1957)という傑作を残した。「豚と軍艦」(1961。本連載第25回参照)、「うなぎ」(1997/第24回参照)の今村昌平は彼の直系の弟子に当たる。

 1957年に東宝系の東京映画へ移籍する一方、大映で「女は二度生まれる」(1961)、「雁の寺」(1962)、「しとやかな獣」(1962)の三本を監督。若尾文子を主演に起用し、新たな魅力を引き出した。

 1963年6月11日、遺作「イチかバチか」公開を前にして東京・芝の自宅にて急逝。故郷の青森県むつ市に建つ記念碑には、彼の座右の銘「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」(井伏鱒二による8世紀の漢詩人、干武陵の五言絶句「歓酒」の意訳)の一文が刻まれている。

 受験生の皆様の“カツ”をお祈りいたします。

作品基本データ

【喜劇 とんかつ一代】

「喜劇 とんかつ一代」(1963)

製作国 :日本
製作年 :1963年
公開年月日 :1963年4月10日
製作会社 :東京映画
配給 :東宝
カラー/サイズ :カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
上映時間 :94分

◆スタッフ
監督:川島雄三
脚色:柳沢類寿
原作:八住利雄
製作:佐藤一郎、椎野英之
撮影:岡崎宏三
美術:小野友滋
音楽:松井八郎
録音:長岡憲治
照明:榊原庸介
スチル:大谷晟

◆キャスト
五井久作:森繁久彌
五井柿江:淡島千景
田巻伝次:加東大介
田巻おくめ:木暮実千代
田巻伸一:フランキー堺
遠山復二:三木のり平
遠山琴江:池内淳子
秀山仙太郎:山茶花究
秀山とり子:団令子
衣笠大陸:益田喜頓
第二大陸おらん:都家かつ江
第二大陸初子:横山道代
芸者・りんご:水谷良重
マリウス:岡田眞澄
第八大陸千代子:原地東
支配人・友成:村田正雄
副コック長・椎野:中原成男
裕ちゃん:立原博
キヨちゃん:旭ルリ
シゲちゃん:勝間典子
林園長:林寿郎
のれん会会長・須賀:若宮忠三郎
のれん会・編集長・野村:守田比呂也

【とんかつ大将】

「とんかつ大将」(1952)

製作国 :日本
製作年 :1952年
公開年月日 :1952年2月15日
製作会社 :松竹大船
配給 :松竹
カラー/サイズ :モノクロ/スタンダード(1:1.33)
上映時間 :95分

◆スタッフ
監督・脚本:川島雄三
原作:富田常雄
製作:山口松三郎
撮影:西川亨
美術:逆井清一郎
音楽:木下忠司

◆キャスト
荒木勇作:佐野周二
妹静子:美山悦子
佐田伴蔵:長尾敏之助
令嬢真弓:津島恵子
「一直」女主人菊江:角梨枝子
弟周二:高橋貞二
艶歌師吟月:三井弘次
丹羽利夫:徳大寺伸
妻多美:幾野道子
子供利春:設楽幸嗣
太平:坂本武
娘お艶:小園蓉子
弁護士大岩:北龍二

(参考文献KINENOTE)

アバター画像
About rightwide 353 Articles
映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。