弱点を克服する戦略と技術革新
しかし、そんな彼にも二つの弱点があった。
一つはとくに初期に見られたが、「馬群の中に巻き込まれる形になると、長所を発揮しにくくなる特性」だ。他の馬と競り合うと、すり抜けることができない。それは小さな馬体のためと考えられているが、筆者は彼の鋭敏な神経のせいにもよるのではないかと考えている。
この弱点は2005年の有馬記念において現実のものとなってしまい、圧倒的人気と勝ち馬予想(オッズ1.3倍)でありながら、このレースでは、ハーツクライに次ぐ2着に敗れた。同じような状況は、日本中のファンの期待を集めた凱旋門賞(フランス)においても現れた。同賞の敗戦に関しては今一つ釈然としないものが残るが、3位(レース後の理化学検査で呼吸器疾患に使われる薬物が検出され失格)に終わった。
彼が敗れるパターンは、馬群に囲まれる状態がレース終盤にあるときであった。そこで関係者が十分に検討し、選んだのが、あの「大外回りで圧勝する」定番の走りである。外回りならば、馬群に囲まれることはない。その分走る距離は長くなるが、そこは彼の強靱な心配機能と抜群の末脚(ゴール前に高速が出ること)を生かすのである。
弱点をリサーチし、弱点から必殺技を生み出したのである。レース終盤にディープインパクトが最後部から出て追い込みにかかったと見えた瞬間、観衆はワッと声を上げたものだ。その大歓声の中、ディープインパクトはいつも、馬群とは全く離れたコース中央を猛烈なスピードで独走して見せた。その深い衝撃を与える映像は、彼の弱点があったからこそ編み出された走りなのであった。
もう一つの弱点は、蹄である。彼の蹄は薄かった。馬の蹄には蹄鉄を付けるが、これは釘付けである。釘を打つには、蹄にはある程度の厚みがなければならない。
これは速い馬に共通することとも言われているが、彼の蹄の薄さは身体的な特徴であり、競走馬となった初期の頃から指摘されてきたことだったが、第三戦目辺りから、深刻になってくる。薄い蹄に合わせて短い釘を使うなどの対応が考えられたが、蹄が割れる危険もあった。そのままでは、ついにはレース時に蹄鉄が釘打ちできないという状況に至り得た。
その危機を打開したのが、ディープインパクトの恩人と言えるカリスマ装蹄師・西内荘であった。西内が彼のために選んだのは、当時の日本競馬界では珍しかった接着剤による装蹄である。これには走行中の蹄鉄の脱落を心配する声もあったが、アメリカで装蹄師としての実績を積んできた西内にはその知識があり、幾例も試してきた経験もあったし、何より既成概念にとらわれない新しい技術への挑戦が必要だと考えていた。
ここでも彼を支える人の輪の重要性が浮き彫りになる。結果的に、ディープインパクトがその後も活躍できたのは、西内の貢献によるところ大である。もし、西内のように新たな挑戦を行う人がいなければ、困難な状況に前向きに対応するように考える人がいなければ、ディープインパクトの才能は未開のまま、誰に記憶されることもなく早々に競馬界から姿を消していたことは間違いないだろう。
鮮やかな引き際・有終の美
凱旋門賞での敗北は彼のファンにとっては真に悔しいことであったが、帰国後の初戦、大レースの一つであるジャパンカップでは勝利を収めた。かつて国内では唯一負けていた相手であるハーツクライとの対決に関心が高まったレースであったが、後方待機の後、第三コーナーから直線に入ったゴール前400m前後からの一気の牛蒡抜きで大差をつけてゴールするという、彼本来の定番を絵に描いたようなレースとなった。
2006年12月24日の引退レースは、国内で唯一敗戦を喫していた有馬記念である。しかし、これも“偉大なる定番”で、後方3番目から一気に追い上げ、ぶっちぎりで優勝し最後の花道を飾った。
当日の全レースが終了後、ディープインパクトは短い競技生活に別れを告げる引退式を行った。有馬で終わる文字通りの“有終の美”であった。
生涯成績14戦12勝。獲得賞金額は14億5455万円で、これは競馬史上歴代2位であった。