スーパーバイザーとは和訳すれば人の監督者である。その名称であることも手伝って、スーパーバイザーは“上から目線”になりがちである。しかし、本来はスーパーバイザーは店舗やフランチャイジーから学ぶ立場にある。そこを理解しなければ、円滑なチェーン運営はできるものではない。
“商流の上下”と“人の上下”をはき違えるな
チェーンストアは、マニュアルによって稼働することになっている。だが、実際にはマニュアルだけではことは運ばない。実際に行動するのは人間であり、この人間は機械と違って正確ではないし、感情があり、チェーンのスタッフであると同時に、それとは別に、それぞれに家族や地域社会を構成する社会的存在である。その人々を動かすには、マニュアルだけではなく、人間を理解した人間が必要になるのだ。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めてやらねば、人は動かじ」は連合艦隊司令長官山本五十六の言葉と言われている。そのように、ひとに何かをやってもらうことは容易なことではない。ただ伝えればよいと言うわけにはいかないのである。
ひとを動かすには、まず自分が十分に理解し、それを相手にも理解させ、相手が実際にやってくれなければ、ひとを動かしたことにはならない。
とくに、SV(監督者)などというタイトルで現場に赴いた場合、本来は“商流の上下”であるにすぎない関係を“人の上下”と勘違いしやすいのが、悲しい人間の性である。「本部の人間である」「上位者である」との認識が、SVを“上から目線”にしてしまい、本部、本部作成のマニュアル、本部作成のデータの権威をふりかざし、「やってもらう」ではなく「教えてやる」の態度になってしまいがちなのである。
スーパーバイザーはむしろ店舗から教わる立場
このような奢りや立場のはき違えを防止するため、たとえば私のハーレーダビッドソンジャパン時代には、チェーンストアのSVに当たる役割には「指導員」「スーパーバイザー」といった名前を使わず、「地区担当員」ないし「フィールドマン」と呼称することにした。職務内容も「指導」ではなく、販売店に関する「諸事お伺い窓口」としてとらえ、そのように行動するように求めた。
非直営のチェーンの場合、本部なりFCザーなりにとって販売店、FCジーは直接の“お客様”である。しかも、多くの場合、FCジーの経営者、オーナーのほうが、SVよりも年齢が上なのだ。その中でSVが“上から目線”になれば、FCジーから、人間としての反発を買うのは必至だ。SVは、マニュアルや契約とは別に、この人間の感情を知るべきであるし、FCであれば、FCジーがお客様であることを忘れてはならない。そうなれば、「教えてやる」ではなく「教わる」の態度に、自然になっていくはずだ。
極論すれば、マニュアルに書かれている事項の多くは、瑣末な話である。SVと現場の違いは、その瑣末な話をどれだけたくさん知っているか程度のものだ。
それに比べれば、店舗で起こっていることの一つひとつは、マニュアルよりもはるかに重大であり、マニュアルにない話も多いのである。それに対して「教えてやる」ことなど、「教わること」に比べれば少なく、かつ重要度も低いのだ。
畏れを知るスーパーバイザーたれ
SVがそのことをよく理解し、各店舗で学んだことを他の現場に伝える姿勢で臨み始めれば、各店舗のスタッフやFCジーの心の扉はじわじわと開き始め、彼らの反応はがらりと変わる。
そして多くの場合、このように重要なことが、SVのマニュアルに書かれていないのだ。
SVはまず、己の小ささに気付くことから新しい一歩を踏み出していただきたい。
いっぱしのマーケティングの専門家を気取ったところで、その話のネタになっている市場データ等は、単にコンピューターで本部に集約して、本部でコンピューターが解析したものである。今日、その集計から作業をはじめ、それゆえにそのデータの内容や意味に精通しているSVとはどれだけいるだろうか。これはいわゆる“絶滅危惧種”であって、いるとすれば相当に貴重な存在だ。
そのようなSVに比べれば、顧客接点活動をしている現場の店舗は知識と情報の山である。本部のデータとマニュアルを離れてしまえば、SVより店舗現場の人間の方がよほど経験を積み、勘も養っている。
SVは、その“畏れ”を知ることである。
「生かされて生きる」を忘れるべからず
SVと言わず、人は皆「生かされて生きる」ことを謙虚に悟ることが必要だ。マニュアルを“人間として”超えられるSVの輩出を切に祈る。
以下は著者の大恩人である故水口健次先生が遺された言葉である。
生かされて生きる
わたしは
太陽を輝かせることはできない
酸素もつくれない
それなのに生きている
宇宙四十六億年の進化の結果で
人類六千年 三百世代の知恵で生かされている
もうひとつ
すぐそばにいる少数の人達の心配りと犠牲
その結果として生きている
わたしは生きている
生かされて生きている
右 左 上 下 どっちを向いても感謝
ありがとうございます