日本の外食産業は、外食という“コト”を“モノ”として扱うことで成長してきた。しかし、それを見直し、外食の消費体験に視点を移した“コト売り”に回帰していくことが、今後の成長の糸口になるはずだ。
社会が求めた効率化で成長
年長者の特権で、時代を少し遡って振り返ってみよう。かつて、外で食事をすること=外食は、それほど機会が多いことはなく、その機会は限られていた。そしてその機会での思い出は、しっかりと記憶されることが多かった。大切な来客がある場合とか、誕生日のお祝いであるとか、初詣など参詣の帰りであるとか、“非日常的な機会”になされることが多かった。
ところが近年の若い世代にとって外食は日常であり、珍しいことでもなんでもなく、外食だから価値があるというようには感じられないという。今日とくに都市を中心に3食とも外食という人も多いし、テイクアウトも含めれば1日2食は外食という人は相当なパーセンテージに昇るという時代だ。
男女共働きが一般化し、一人住まいが老若男女を問わずに増え続ける社会環境の変化が根本的に存在することが背景にある。だがそればかりではなく、一方でそのような社会環境の変化をビジネスチャンスとしてとらえて、その変化に対応する、的確な食の提供方法を作り出し、社会現象化させてきたのが外食産業とも言える。
そしてその着想と方法の多くは、先行してそのような社会習慣の変化を経験していた欧米から、1970年前後に持ち込まれた。これをさらに日本の市場に合わせて食材や料理の領域を広げ、その提供方法もきめ細かく高度化し、一層のモジュラー化を進めながら、各段階での機材や技術の発明・発見・構築を遂げた。そうして諸外国とは一味違った多様性を持つ産業として日本の外食産業は発展してきた。その絶頂は、意外やバブル崩壊後の1997年で、最大約29兆1000億円の市場規模となった。
“コト”から“モノ”へ変わった外食
世界のすしブームも、発信源は日本の外食産業である。回転ずしのコンベアやすしを握るロボットを開発し、輸出することによって、すしはそれまでにも増して急速に世界中に広まった。
だが一方で、この方式は、従来各家庭や個々人にとっての思い出に残る種類の消費行動、食べるモノではなく食べるコトであった外食を、極めて広範囲にわたって一般化、日常化、主食化した。“コト”であった外食が“モノ”化されたと見ることができる。
そのビジネス・プロセスも機械化され、合理化され、対面的要素は切り詰められ、少なくとも以前あった形での“コト”としての「外食」からは根本的に変わってしまった。今のこの産業化、ロボット化された食のあり方も新しい文化ではあるが、そこでは、メンタルな要素、感性価値がそぎ落とされている。
回転ずし業態がすべて“モノ消費”とは言わない。だが、たとえばある日のランチに一人で懐を気にすることなく回転ずしをつまめることはありがたいことではあるが、それはいちいち思い出にはならない。
安価に、どこでも、だれでもが簡単に食することのできる今の外食は、「デフレメシ」と揶揄されてもいる。
どのようなビジネスでも、儲かるならばいいだろう。低価格で、短時間で、モノを提供し、販促を恒常化し、それで成功しているならばそれを続けていていいだろう。しかし、現実に「儲からない」と嘆いているならば、ビジネスの内容を根本から見直していい時期ではないだろうか。