作物の栄養(4)近代科学による解明

作物に何を与えればよいのかという問題について、人類は長い間頭を悩ませてきました。それを詳しく解明するきっかけになったのはリービッヒの無機栄養説ですが、これはテーアの有機栄養説と対立します。その頃日本では何をしていたかと言えば、“とにかく何でも与える”式の大ざっぱな考え方による有機肥料の投入でした。

シュプレンゲルの発見

 さて植物の必要とする栄養です。人類がこれを解明するには長い時間がかかりました。その本質は、無機化学や有機化学という近代科学の力を借りなければわからないことだったからです。

 ギリシャ時代には、栄養説というよりも「物質とは何かと」いう問いかけであったのかもしれませんが、“万物の根源”ということでさまざまな説が唱えられました。その流れは大きく2つに分かれていました。すなわち、万物が土、水、空気、火の4つからなるという多元素説と、万物の根源は1つとするアトム説です。ここでのアトム(原子)の概念はもちろん今日の自然科学で扱う原子とは異なりますが、分割不可能な物質の単位があるとする着想が紀元前にあったことは興味深いことです。

 いずれにせよ、こうした化学の根本に迫る議論はニュートンの登場まで混沌としていたようです。

 近代になると、植物の栄養に関する実験が試みられるようになりました。たとえば、水に溶けたある物質が植物に吸収されていることとか、植物を燃やした灰を水に溶かしたものを植物に与えると生育を示すこととかについてです。そうした中で、酸素、炭素、水素は土から与えなくても植物は生育するという発見があったことは特筆ものでしょう。これはリービッヒが腐葉土の重要性を否定するよりも前の、ドイツのシュプレンゲル(Carl Sprengel、1778~1859)という人による発見でした。

有機栄養説vs無機栄養説

 一方、こうしたいわば実験室的アプローチとは別に、畑で実証することで植物の栄養を考えている人たちもいました。ここで考えられたことは、植物の栄養は土壌そのものではなく、土壌から出てくるもので、さらに言えば土壌中の腐植に由来するものが、まさに植物の栄養であるとする考え方でした。

 これは英国のノーフォークという場所で、播種機の開発に端を発する研究でした。この時代すなわち19世紀前半は、それ以前の研究で植物の栄養説が単独で論じられたのとは違って、土壌、施肥、土地改良、栽培、畜産というような農学全般をまとめ上げた体系の中に、作物栄養学が位置づけられてきたことが進歩であったと思います。

 そして、有機栄養説を唱えるテーア(Albrecht Thaer、1752~1828)と無機栄養説を唱えるリービッヒ(1803~1873)の両者が対決し、決着をつける準備は整っていったのです。

“白砂青松”が消える理由

 ところで、作物に栄養を与えるということについて、日本の歴史ではどんなことがあったでしょう。

 日本はこれまでも繰り返し述べてきたように強い酸性土壌であることから、畑ではものが思うように取れない現実がありました。

 しかし水稲栽培が日本の土、降雨量、また日本人の性格に合っていたことから普及しました。

 そして、肥料になりそうなものは何でも施すことが実行されていました。山草、畔草、落ち葉、人糞尿、川底の泥などは、誰もが争ってかき集めたものです。

 興味深いのは、このことが松林の落ち葉を堆積させないことになったことです。“白砂青松”という言葉がありますが、日本のきれいな松林は、このために守られてきたわけです。しかし、人々が“金肥”を使うようになるなど、周辺から苦労して集める有機物が必要なくなった時点で、松林の落ち葉は放置されることになりました。

 このためマツには不向きな肥えた土が出来上がり、肥えた土に適した広葉樹が松に取って代わって繁茂することになったのです。昨今、クロマツなどの松林の減少が困ったこととして話題に上りますが、その原因の一つにはこうしたこともあります。

“とにかく何かを入れる”日本式

 脱線しましたが、とにかくあらゆる有機物をとにかく入れることが日本式の作物栄養の考え方の原則でした。そして、そうした有機物を与える作物の優先順位は“お金になるものから”が鉄則でした。米より金になるものがあれば、そちらが優先です。菜種、綿花、藍、ベニバナなど換金性の高いものには、魚粕、大豆粕、菜種粕などが施用されたわけです。

 肥料の主体は有機肥料が主体でした。農家が化学肥料を購入できるようになったのは、戦後の昭和30(1955)年以降で、それまでは自給するものがほとんどだったはずです。

 こうしたことから、日本での作物栄養の概念は、“とにかく何かを入れることが増収すること”という感覚が生まれてしまったようです。

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About 関祐二 101 Articles
農業コンサルタント せき・ゆうじ 1953年静岡県生まれ。東京農業大学在学中に実践的な土壌学に触れる。75年に就農し、営農と他の農家との交流を続ける中、実際の農業現場に土壌・肥料の知識が不足していることを痛感。民間発で実践的な農業技術を伝えるため、84年から農業コンサルタントを始める。現在、国内と海外の農家、食品メーカー、資材メーカー等に技術指導を行い、世界中の土壌と栽培の現場に精通している。