謎の女と男たちと酒と乾き物

339 「スオミの話をしよう」から

現在公開中の「スオミの話をしよう」は、「記憶にございません」(2019)以来5年ぶりとなる、三谷幸喜脚本・監督作品。行方不明になった女・スオミ(長澤まさみ)を巡って、現夫や元夫たちがスオミを取り戻すために奔走するうちに、男たちそれぞれが知っているスオミのキャラクターのずれが浮かび上がるというコメディである。今回は劇中に登場し、それぞれのスオミ像を印象付ける、食べ物、飲み物などを掘り下げていく。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

クロサワ映画と古畑任三郎

 作品の主舞台は、スオミの5番目の夫で現夫の著名な詩人、書家の寒川しずお(坂東彌十郎)の豪邸。大面積のリビングルームは、三谷監督の要望により、黒澤明監督の「天国と地獄」(1963)で三船敏郎が演じた権藤金吾の邸宅を、現代的にアレンジしたデザインになっている。そこへ、スオミの4番目の夫で、スオミが誘拐されたと考える刑事の草野圭吾(西島秀俊)が、同僚の小磯杜夫(瀬戸康史)と共に寒川邸に乗り込んでくる。このシーンでは、「天国と地獄」の刑事たちと同様に配送員に変装。外からリビングをのぞかれないように、草野が寒川の世話係の編集者・乙骨直虎(戸塚純貴)にカーテンをすべて閉めるように指示するところも同じだ。さらに誘拐犯からの電話に備えて設置する、時代遅れの逆探知・通話録音装置までそっくりである。唯一異なるのはクライマックスの現金受渡しで、「天国と地獄」での特急列車ではない、ある乗り物が使われる。

 ここまで黒澤の「天国と地獄」にこだわるわけだが、男たちのスオミについての証言がそれぞれ異なるのは、やはり黒澤の「羅生門」(1950)へのオマージュともとれる。

 また、スオミ誘拐の謎解きシーンでは、ある人物が三谷脚本のテレビドラマ「古畑任三郎」(1994〜2006)並みの推理力を披露する。古畑任三郎も元ネタは「刑事コロンボ」(1968〜1978、1989〜2003)だとは言え、三谷監督のお家芸が発揮されたシーンと言える。

料理下手な女と料理上手な女

「マスカルポーネチーズとトマトベーコンソースのトースト」。草野の前ではレシピを覚えられなかったスオミが、寒川との結婚生活では得意料理にしている。
「マスカルポーネチーズとトマトベーコンソースのトースト」。草野の前ではレシピを覚えられなかったスオミが、寒川との結婚生活では得意料理にしている。

 草野の知るスオミは、おとなしくて不器用。段取りをつけるのが苦手で、料理をはじめ、炊事洗濯といった家事全般は草野の役割だった。ところが寒川の語るスオミは、活動的で器用。料理学校仕込みの料理の腕前を生かし、継子である寒川の息子に毎日キャラ弁を作り、寒川を手料理でもてなす“良妻賢母”だという。

 スオミの変貌ぶりを示す例として示されるのが、「マスカルポーネチーズとトマトベーコンソースのトースト」を作るシーン。草野の回想では、ホームパーティーで珍しく料理を作ろうとするスオミに、草野が作り方を教えるのだが、スオミは教わったばかりの手順が覚えられず、結局草野が作ることに。一方、寒川邸でのホームパーティーでは、得意料理として登場しており、対照的なシーンになっている。

 実は料理上手なスオミにはカラクリがあるのだが、そこは本編をご覧いただきたい。

 本作のフードコーディネーターは住川啓子。20年以上前からドラマと映画合わせて530本以上を手がけてきたフードコーディネーターの草分け的存在で、その力量は本作でも発揮されている。住川は、エンドロールで美術協力としてクレジットされている西東京調理師専門学校の校長も務めており、同校の学生たちが撮影現場での調理に参加しているという。

コスケンコルヴァとスオミの原点

 草野とスオミの出会いは、スオミの3番目の夫で草野の上司にあたる宇賀神守(小林隆)が主催する仮装忘年会でのこと。宇賀神が「太陽にほえろ」(1972〜1986)で松田優作が演じたジーパン刑事の扮装をしたいがために催された会である。このとき、スオミがいつも身に着けているロケットペンダントと共に印象的なのが、スオミが飲んでいる「コスケンコルヴァ」。「かもめ食堂」(2006、本連載第22回参照)にも登場したフィンランドのアルコール度数の高いウォッカである。このペンダントとコスケンコルヴァが、スオミの出自と、スオミという名前の由来に関わっているのが興味深い。コスケンコルヴァは、ポストクレジットシーンにも登場し、本編の次の展開を予感させるものとなっている。

 宇賀神の語るスオミは、ある理由によってコミュニケーションの取り難い女。さらに元教師で今は庭師をしているスオミの1番目の夫・魚山ととやま大吉(遠藤憲一)の語るスオミは、回想のイタリアンレストランでのやり取りが示すようなツンデレ。2番目の夫で起業家、ユーチューバーの十勝左衛門(松坂桃李)の語るスオミは、ビジネスパートナーとして信頼できる、頭の回転が速い女。まるでカメレオンか多羅尾伴内のように5つの顔を持つスオミだが、決して多重人格者ではない。魚山の前ではスオミの同級生、十勝の前では会社の事務員、宇賀神の前ではスオミの従姉妹、草野の前ではリフォームプランナー、寒川の前ではPTAのママ友として現れる謎の女・あざみ(宮澤エマ)こそが、スオミの真実を最もよく知る者なのかも知れない。

ロマネ・コンティと“無限柿の種”

 寒川の詩人で書家というなりわいのモデルは相田みつをだと思われるが、寒川の私生活は贅沢三昧で、そのくせケチ。道具などには金をかけながら生活は質素だったと伝わる相田とはかけ離れた人物像である。寒川のリビングルームに飾ってあるのは自分の写真ばかり。近未来風のマッサージチェアやミニサウナ、酸素カプセルや筋トレマシンなど、自分の好きな高額の“おもちゃ”が並び、他人には関心のない様子だ。家は宝物をしまう箱のようなものだと言い、スオミもその一つとしか見ていない——こういう人、昨今増えているように感じるのは筆者だけだろうか。

 そんな寒川のキャラクターの一端を表しているのが、リビングに置かれたアンモナイトのような置物にぎっしり詰められた柿の種。スオミのために集まった男たちの空腹を紛らわす“つなぎ”として機能するが、いくら食べても一向に減らないのは、寒川の無限の欲望のメタファーのように映る。

 騒動が一件落着して、一同が勝手に寒川の所蔵するロマネ・コンティを出してきて開けてしまうときのつまみも、この柿の種。誰でも手が届くわけではない高級ワインと誰でも買える乾き物の取り合わせがもったいなさを増幅させる。

 なお、撮影に使われたロマネ・コンティの中身はもちろん本物ではなくジュースなのだが、安価なものが見つかって数十万円、通常は1本100万円は下らず、高級車も買えようという高額で流通するワインなだけに、空き瓶を用意するのにも一苦労。関係者の、関係者の、さらに関係者のつてで何とか借りることができたと、三谷監督は撮影日誌に書いている。


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西東京調理師専門学校
https://www.tanaka.ac.jp/cuisine/4678.html
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かもめ食堂
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本連載第22回
https://www.foodwatch.jp/screenfoods0022
三谷幸喜撮影日誌
https://www.instagram.com/p/C_7AOIvzuAF/

【スオミの話をしよう】

公式サイト
https://suomi-movie.jp/
作品基本データ
製作国:日本
製作年:2024年
公開年月日:2024年9月13日
上映時間:114分
製作会社:フジテレビ、東宝
配給:東宝
カラー/サイズ:カラー/シネマ・スコープ(1:2.35)
スタッフ
監督・脚本:三谷幸喜
製作:大多亮、市川南
プロデューサー:玉井宏昌、石塚紘太
撮影:山本英夫
照明:小野晃
録音:瀬川徹夫
美術:あべ木陽次
美術プロデュース:三竹寛典
装飾:田村一徳
音楽:荻野清子
音響効果:倉橋静男
編集:松尾浩
衣裳デザイン:宇都宮いく子
カラーグレーダー:齋藤精二
キャスティング:杉野剛
アソシエイトプロデューサー:石原隆
ラインプロデューサー:森賢正
製作担当:鍋島章浩
助監督:是安祐
スクリプター:山縣有希子
VFXスーパーバイザー:田中貴志
フードコーディネーター:住川啓子
キャスト
スオミ:長澤まさみ
草野圭吾:西島秀俊
十勝左衛門:松坂桃李
小磯杜夫:瀬戸康史
魚山大吉:遠藤憲一
宇賀神守:小林隆
寒川しずお:坂東彌十郎
乙骨直虎:戸塚純貴
薊:宮澤エマ
イタリアンレストラン店員:梶原善
記者:阿南健治
カメラマン:操上和美
石原裕次郎似の刑事:ゆうたろう

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。