日本から万延元年遣米使節を迎えたニューヨークも、やはりサムライたちの話でもちきりだった。そのさなかに、J.トーマスは「ジャパニーズ・カクテル」を創出したはずだ。しかし、なぜその味になったのかの解明には、別な検証が必要だ。
さすが世界の酒を知るJ.トーマス
「IMBIBE!」(David Wondrich著)は、「ジャパニーズ・カクテル」がバーテンダーの始祖と言われるJ.トーマスのオリジナルであることと、使節団の宿泊先が彼がカクテルを調製していた「パレス・バー」の目と鼻の先にあったことを指摘している。ここまで拙稿にお付き合いいただいて、その時代背景を把握した読者なら、このときの情景を容易に想像していただけるだろう。
街は連日、これからやって来る“不思議の国ジャパン”からの一行の話題で持ちきりだ。彼のバーを訪れる客が「ジャパンという国の住民はいったいどんな酒を飲んでいるんだろう?」と尋ねたに違いない。そのとき、トーマスが英仏での経験を踏まえ、海外の酒に通暁している第一人者としての揺るぎないプライドと共に、客の前に差し出したのが「ジャパニーズ・カクテル」だった。
客は、大量に含まれたビタースとオルゲート・シロップが醸し出すナッツ系の香りにオリエンタルなものを感じ、「さすがは世界の酒を知り尽くしたJ.トーマスだ」と感嘆の声を挙げたと筆者は推測する。
ではなぜこの味がジャパンなのか?
この好評に意を強くしたJ.トーマスが、そのレシピを2年後の1862年に出版された世界初のカクテルブック「The Bartender’s Guide / How to Mix Drinks / THE Bon Vivant’s Companion」に記載するに至った経緯は、ここまでで説明を一応終えたことになる。ここまでの拙稿は「ミカド・カクテル」の隆盛の記述の多くを「ミカドの肖像」(猪瀬直樹著、小学館)に頼り、「ジャパニーズ・カクテル」誕生の経緯を「IMBIBE!」(David Wondrich著)に頼ってきた。ここで、今まで誰も解き明かしていなかった「ジャパニーズ・カクテル」最後の“謎”……日本とにわかには結び付かないその“味”についてさらに探究を進めたい。
10年ほど前――当時はまだ「ジャパニーズ・カクテル」の誕生の経緯も「ミカド・カクテル」と呼ばれた理由も知らなかった――筆者は無謀にも「ミカド・カクテル」の味の謎に迫り、その厚い壁に屈した経験がある。その経緯はクレジットカード会社の顧客向け月刊誌に2年半にわたって連載していた「カクテルの夜明け」で「埋もれていたジャパニーズカクテル」と題して書いている。
「ジャパニーズ・カクテル」の味の謎を解くカギは、どのカクテルブックの記述とも、このカクテルの由来や履歴とも縁遠い、そもそもカクテルとも異なるジャンルからやってきた――1990年代後半から日本に相次いで上陸していたシアトル系コーヒー、つまり「スターバックス」や「タリーズ」をはじめとするカフェの台頭である。