ラベルに日本文のあるベルモットのボトル。このようなものがどうして作られたのか――「大日本基準コクテール」にあったマウント・フジに関する記述を読んだ今は、それがわかる。資料を当たった結果も、その銘記すべき出来事の信憑性を裏付けるものだった。
マルティニ・エ・ロッシ社日本限定ラベル
筆者が中野のバーにある謎のベルモットの素性を知るきっかけになったのは、戦前帝国ホテルに働いていたバーテンダーが丹念に集めたスクラップ・ブックだった。
そこにはほとんど当時と変わらない良好な状態で保存されているマルティニ・エ・ロッシ社のベルモットのラベルが残っていたため、文章の判読も可能になった。
その文面には、こう書かれていた。
「注意 市場本品ニ類似ノ商標ヲ貼用シタルモノヲ販賣スルモノ往々有之候ニ付純良品ヲ需用セラルゝ華客諸君ハ原商標并ニ本徽章ニ御注目ノ上真偽を御識別アラン(中略)伊太利國トリノ府ベルモット醸造元マルチニ、エ、ロッシ會社」
さらにラベル中央部には「ETICHETTA SPECIALE PER IL GIAPPONE(日本限定ラベル)」という表記があった。
元帝国ホテルのバーテンダーがストックしていたラベルだということで、謎のベルモットが本物である可能性は一段と高まったが、まだ確証できるレベルではない。なにか決め手になる資料がほしい。
そう思っていたある日、筆者はついにこれが真正品である決定的な証拠を戦前のカクテルブックで見つけた。
そのカクテルブックの広告には、当時としては珍しい写真を使ったマルティニ・エ・ロッシ社のベルモットの広告があり、そこに写っていたのは紛れもなく、あの日本語ラベルのマルティニ・エ・ロッシのベルモットだったのである。
模造品を作るために、わざわざ疑われやすい日本語を入れる必要はない。加えて、模造品業者がわざわざ高い広告料を払って自社の模造ラベルを、酒に詳しい人間が書いたカクテルブックに掲載する必要は、さらにない。
ここまでは、「大日本基準コクテール」をこの目で見る以前のリサーチでわかっていた。今回ここに書くのは、マウント・フジにかかわる「もう一つの可能性」を検証するためだ。
昭和8年以降のラベルであった場合
以前のリサーチでは、戦前というだけでとくに年代には注目していなかった。原稿のテーマが「スパイ・ゾルゲが愛したカクテル」から「幻の『大日本基準コクテール・ブック』」に替わり、何度もマルティニ・エ・ロッシに言及していたにもかかわらず、正直、このベルモットが中野のバーにあったことさえ忘れかけていた。その筆者の元に連絡があったのは2月に入ってからのことになる。
「例のベルモット、店に持ってきましたので撮影の必要がありましたら、いつでもお越しください」
そういうメールが来た時に、勘の鈍い筆者もようやく気が付いた。あの謎の日本限定ラベルは、もしかしたらマウント・フジがカクテル・コンクールで入賞したことと関連があるのではないか、と。
今でこそ輸出品を現地仕様に改めるのは常識だが、当時、東京や大阪、神戸といった大都市を外れれば模造品が棚に並んでいた日本がそれほど大きなマーケットだったとは思えない。実際、あのベルモットの他には(ヘッジス&バトラーについては当時の資料が見つかっていない)ブキャナンのスコッチ「ロイヤルハウスホールド」以外で 「日本仕様」の洋酒というのは筆者の知る限り、見たことがない。強いて挙げれば、大正10年に当時皇太子だった昭和天皇が御召艦「香取」に乗船し、随艦「鹿島」を伴って訪英した際に両艦の艦名を「KATORI」「KASHIMA」と記念ラベルに冠したスコッチがある。しかし、これは関係者向けの物だった可能性が高い。
ブキャナンの場合は、当時高級品に与えられる最上級の「お墨付き」だった「皇室御用達」と、それに関連した皇太子への元帥杖授与という、わかりやすいきっかけがあった。
マルティニ・エ・ロッシ社のベルモットの場合、同社のベルモットが皇室御用達になったのは大正時代であり、もし「日本限定仕様」のラベルが使われた時期が昭和8(1933)年以降だとすれば、きっかけになり得るトピックは昭和8年に同社が主催したカクテル・コンクールに日本バーテンダー協会が入賞したこと以外には有り得ない。つまり、日本限定ラベル採用の時期がコンクール受賞の後だとしたら、マルティニ・エ・ロッシ社がカクテル・コンクール受賞を記念して日本限定仕様のラベルをわざわざデザインした1本が奇跡的に現存する……という魅力的な仮説が真実味を帯びてくるのだ。
マウント・フジが勝ち取ったラベル
最近、国会図書館は使い勝手が悪くなった。10年以上前のいちいち名前と書籍名を書いて行列に並び、午前中走りまわって3冊のコピーを取れれば上出来だった時代に比べればまだしもだが、端末にキーワードを入れればズラッと対象書籍が検索も申請もできていた時代に比べると、やたらに時間を食う。
加えて古い書籍はスペースの関係で関西に引っ越したとかで現物を手に取ることができず、データ化された画像を1回ずつクリックしてしばらくかかるから、今後戦前文献を一から調べる方は原書に直接触れられる関西に行った方が手っ取り早そうだ。
そんな愚痴はさておき、リサーチの結果を読者にお伝えしよう。バーテンダーを職としない、おそらく日本で最初の洋酒評論家として大正末期から昭和30年代まで活動していた佐藤紅霞の著書に「世界飲物百科全書」がある。初版の昭和8年にあるマルティニ・エ・ロッシのベルモットの広告は通常のラベルだったが、昭和12年の改訂版では日本限定仕様ラベルに差し替わっていた。
つまり、「萬國コクテール競技會」で佳作を受賞した昭和8年から4年間の間に“何らかの理由”で日本向けラベルの瓶に差替えられている。
幻の日本限定ラベルのマルティニ・エ・ロッシのベルモット。現在では口にすることは叶わないものの、時代を超えて生き残った瓶を眺めてバーテンダーと会話を交わしつつ口にする「マウント・フジ」は感慨深いものがあった。