“食べる”で描いた“生きる”

[303] 「生きる」と「生きる LIVING」

現在公開中の「生きる LIVING」(以下「LIVING」)は、1952年製作の黒澤明監督作品「生きる」のリメイクである。舞台を1953年のロンドンに移した脚本をノーベル文学賞作家のカズオ・イシグロが書き下ろし、イギリスの名優ビル・ナイが主演を務めた。第95回アカデミー賞の脚色賞と主演男優賞にノミネートされたが、惜しくも受賞を逃した。

 今回は、黒澤監督のオリジナルと「LIVING」を比較しながら、“生きること”と“食べること”の関係を中心に述べていく。

※注意!! 以下はネタバレを含んでいます。

生の輝きを映し出す食欲と、一杯の水

 黒澤明が“世界のクロサワ”たるゆえん、それは誰が観ても演出意図が通じる“わかりやすさ”にあると筆者は思っている。黒澤は、本連載第103回「『七人の侍』と“百姓”と“飯”」でも述べた通り、観客に「ごちそうを食わせる」ために、多様な手法を駆使して“わかりやすさ”を強調し、“完璧以上”を目指す。その姿勢は、「生きる」の主人公・渡邊勘治(志村喬)が、死を目前にして“生きること”に目覚め、お役所仕事の中で塩漬けになっていた公園建設に着手・邁進する姿に通じるものがある。

 渡邊が“生きること”に目覚めるきっかけを作ったのが、市役所の部下・小田切とよ(小田切みき)。渡邊は、毎日うどんかけの昼飯で、汁も残さず飲むという生活習慣が祟ったのか、胃がんで余命いくばくもないことを知り、市役所を無断欠勤して夜の街を彷徨う。翌朝の帰り道で、渡邊は偶然とよに出会う。

 笑顔で駆け寄ってくるとよは、陽光を浴び、健康的で生の輝きにあふれているように見える。黒澤は、とよのパーマをかけた髪に強いライトを当てて後光が射しているように見せ、それを強調している。とよは、忙しいふりをしているだけでやる気のない職員ばかりの市役所を辞め、玩具工場に再就職しようとしていた。辞表に判をもらうために渡邊を探していたとよに、渡邊は今日一日付き合ってくれるよう頼む。

「生きる」の喫茶店のシーン。とよは渡邊の分のケーキまで食べて食欲旺盛なところを見せる。
「生きる」の喫茶店のシーン。とよは渡邊の分のケーキまで食べて食欲旺盛なところを見せる。

 その不釣り合いなデートの過程で目立つのが、とよの食欲だ。とよは、喫茶店では渡邊のケーキにまで手を出し、遊園地ではお汁粉をおかわりし、映画を観ている最中も口を動かし、締めの料理屋ではすき焼きと、一日中何か食べている。それを見ている渡邊に、とよの食べる姿がまぶしく映っていることがわかる一連のシーンである。

 渡邊は、とよをきっかけに、活気のある生き方をしてから死にたいと考え、その後もとよを誘うが、新しい職場の仕事で精一杯のとよは、渡邊を煙たがるようになる。これが最後と決めた喫茶店での鬼気迫るやりとりは、中盤のクライマックスと言える。詳細は省くが、ここで渡邊は生まれ変わり、自分のためではないバースデーケーキで祝福されるのだ。ヒューマンドラマの中でも活劇を感じさせる、黒澤らしいダイナミズムあふれるシーンになっている。

 後半の回想パート、ようやく着工した公園の工事現場に視察に来た渡邊が、転んだところを主婦たちに助け起こされ、ひしゃくで水を飲むシーンがある。黒澤はひしゃくの水に強力なスポットライトを当て、水のゆらめきを渡邊の顔に反射させ、生の輝きを表現している。本作はモノクロだが、もしかするとひしゃくの水は、より反射の強い墨汁のような濃い色の液体を使って撮影したかも知れぬ。だとすれば、“わかりやすさ”のためにそこまでする黒澤。脱帽である。

フォートナム・アンド・メイソンのパフェ

 一方の「生きる LIVING」。1952年の東京に対し、1953年のロンドンと時代は似通っているが、第二次世界大戦の敗戦国と戦勝国の差なのか、町も市役所も雑多な雰囲気がある「生きる」に対し、バーリントン・アーケード(ロンドンで最も古い屋根付きの商店街)もロンドン・カウンティ・カウンシル(現在のロンドン市以前の行政区時代の役場)も整然とした印象だ。これは、同時代を舞台とした小説「日の名残り」(1989、映画は1993)を書いたカズオ・イシグロの脚本ということもあるかも知れない。

 主人公のウィリアムズ(ビル・ナイ)をはじめロンドン・カウンティ・カウンシル(London County Council = LCC。現在のインナーロンドンに当たる地域を管轄した自治体)の役人たちが、山高帽にダークスーツというフォーマルな服装に身を包み、蒸気機関車が牽引する列車のコンパートメントに乗り込んで出勤する風景もこざっぱりとした英国紳士らしく、東京の満員電車の風景とは天と地の差である。

 オリジナルの「生きる」と同様、ウィリアムズは夜の放蕩の中で帽子を失くして新しい帽子に変えるのだが、「LIVING」のウィリアムズは山高帽から地味な中折れ帽に変える。劇中、その変化だけでも騒がれてしまうというのも、英国紳士文化の成熟度の表れだろう。

 また、オリジナルの「生きる」で現代の常識と異なるのは、医師から患者本人にがんの告知がされず、渡邊は他の患者からの情報で自分ががんであることを知る。それは当時は珍しくないことだったが、「LIVING」のウィリアムズは医師から直接がんであることを告知される。その後の流れはほぼオリジナルをなぞっているが、このように所々に異なる部分がある。

 オリジナルのとよ役にあたるマーガレット・ハリス(エイミー・ルー・ウッド)の再就職先は、当時チェーン展開していたティーハウス「Lyons’ Corner House」だ。独特のユニフォームをまとったウエイトレスは「Nippy」と呼ばれ、人気のある仕事だった。ウイリアムズはマーガレットの推薦状を書くために、ロンドンのピカデリーに本店がある百貨店フォートナム・アンド・メイソンのレストランにマーガレットを誘う。庶民の財布では行きにくい高級店であり、食欲のシーンはここでマーガレットがフルーツとナッツ入りのパフェを食べるシーンで補填されている。

 オリジナルではとよの再就職先で作っていたウサギのおもちゃがキーアイテムとなるが、「LIVING」ではウイリアムズとマーガレットが最後に会った日に、クレーンゲームで獲得するシーンに変更されている。クレーンゲームは、1920年代中盤に作られたのが最初で、この頃はまだ手動でハンドルを回すタイプだった。

沈黙のシェパーズパイ

 オリジナルと「LIVING」の相違点がもう一つある。それは主人公と息子夫婦との関係である。息子が妻の尻に敷かれて父との別居を検討し、その原資を父の貯金と退職金でまかなおうとしていたところに、父が突然の無断欠勤、貯金を引き出し放蕩にふけり、おまけに若い女まで作ったと息子が思い込むところまでは同じである。

 オリジナルではお茶の時間、長い沈黙の後に渡邊ががんのことを打ち明けようとするが、放蕩の謝罪が始まると誤解した息子が一気に本音をたたみかけ、父子対立が決定的なものになってしまう様が描かれていた。一方、「LIVING」では、シェパーズパイの食事をはさんで、パイを取り分ける妻が横目で見つめる中、父はがんの告白が果たせず、息子は追及の口火を切れずという、平行線の沈黙が続く展開になっている。

 シェパーズパイと言えば、スタジオジブリ初のCGアニメ「アーヤと魔女」(2021、本連載第261回参照)で、母と娘の絆の料理として登場したのが記憶に新しいが、こうして実写映画に登場すると、改めてイギリスの庶民的な家庭料理であることを実感する。

 他にも、新たなキーパーソンの登場、同僚たちのニックネーム、イギリスの「映画の日」、日本の歌謡曲「ゴンドラの唄」とスコットランド民謡「ナナカマドの木」等、トピックはいろいろあるのだが、本筋と外れるので割愛する。

 全般的に見ると、オリヴァー・ハーマナス監督による「LIVING」は、オリジナルに比べ、抑制の効いた演出となっている。そしてその選択は、結果的に正しかったのではないか。黒澤演出のような“過剰なごちそう”は、分別のある英国紳士には似合わないと思うからである。


【生きる LIVING】

公式サイト
https://ikiru-living-movie.jp/
作品基本データ
原題:LIVING
製作国:イギリス
製作年:2022年
公開年月日:2023年3月31日
上映時間:103分
製作会社:Woolley/Karlsen Number 9 Films, Filmgate Films, Film i Vast
配給:東宝
カラー/サイズ:カラー/ビスタ
スタッフ
監督:オリヴァー・ハーマナス
脚本:カズオ・イシグロ
原作:黒澤明
製作総指揮:コオ・クロサワ、ノーマン・メリー、ピーター・ハンプデン、ショーン・ウィラン、ソスタン・シューマッカー、エマ・ベルコフスキー、オリー・マッデン、ダニエル・バトセク、カズオ・イシグロ、ニック・パウエル、ケンゾウ・オカモト、イアン・プライアー
製作:スティーヴン・ウーリー、エリザベス・カールセン
共同製作:ジェーン・フックス
撮影:ジェイミー・D・ラムジー
美術:ヘレン・スコット
音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ
編集:クリス・ワイアット
衣裳デザイン:サンディ・パウエル
メイクアップ:ナディア・ステイシー
キャスティング:カーリーン・クロフォード
キャスト
ウィリアムズ:ビル・ナイ
マーガレット・ハリス:エイミー・ルー・ウッド
ピーター・ウォーキング:アレックス・シャープ
サザーランド:トム・バーク

(参考文献:KINENOTE)


【生きる】

作品基本データ
製作国:日本
製作年:1952年
公開年月日:1952年10月9日
上映時間:143分
製作会社:東宝
配給:東宝
カラー/サイズ:モノクロ/スタンダード
スタッフ
監督:黒澤明
脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄
製作:本木莊二郎
撮影:中井朝一
美術:松山崇
音楽:早坂文雄
キャスト
渡邊勘治:志村喬
渡邊光男:金子信雄
渡邊一枝:関京子
渡邊喜一:小堀誠
渡邊たつ:浦辺粂子
家政婦:南美江
小田切とよ:小田切みき
大野:藤原釜足
齋藤:山田巳之助
坂井:田中春男
小原:左卜全
野口:千秋実
木村:日守新一
助役:中村伸郎
市会議員:阿部九洲男
医師:清水将夫
医師の助手:木村功
患者:渡辺篤
バーのマダム:丹阿弥谷津子
小説家:伊藤雄之助
やくざ:宮口精二
やくざ:加東大介
主婦:菅井きん

(参考文献:KINENOTE)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。