映画の中のジャガイモ「ニーチェの馬」

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水を汲みに(絵・筆者)
水を汲みに(絵・筆者)
水を汲みに(絵・筆者)
水を汲みに(絵・筆者)

ジャガイモが重要な役割を演じる作品として、タル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」(2012)を取り上げる。

 封切の初日に行くと、先着で“初日来場者プレゼント”というものをもらえることがある。大抵はノベルティであることが多いのだが、最近、生のジャガイモをプレゼントされるという珍しい体験をした。今回はそのジャガイモが登場する映画を紹介する。

タイトルの由来

 映画は「ニーチェの馬」(2012)というハンガリーの作品である。監督はタル・ベーラ。過去には7時間半の大作「サタンタンゴ」(1991~1993)や巨大なクジラを連れたサーカス団が町に混乱をもたらす寓話「ヴェルクマイスター・ハーモニー」(2000)、「メグレ警視」シリーズで知られるジョルジュ・シムノンの原作を映画化した「倫敦から来た男」(2007)といった作品を発表している。セリフを極力排したモノクロ映像とワンシーン・ワンカットの長廻しが特徴で、本作も2時間34分の上映時間中総カット数は30に満たないという徹底ぶりである。

 タイトルは「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「アンチクライスト」等の著作を残した19世紀末のドイツの偉大な哲学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが、イタリア・トリノの広場で動かなくなって御者に鞭打たれる馬を見て駆け寄り、馬を守るようにその首を抱えながら泣き崩れ、そのまま精神が崩壊して二度と正気に戻らなかったという有名なエピソードに由来しており、「馬のその後はどうなったのか」という発想がこの映画の原点となっている。
 6日間の物語である。この数字は旧約聖書の「創世記」における天地創造の日数と符号しており、「神は死んだ」というニーチェの有名なアフォリズムにちなみ、天地創造とは逆に世界の終末を暗示する内容になっている。描かれることのない7日目は「創世記」では天地創造を終えた神が休んだ日とされており、1週間の日数と日曜日(安息日)の起源となっている。

悪化する状況

 枯葉が雨のように降り注ぐすさまじい暴風の吹き荒れる荒野を進む荷馬車を、横移動で延々ととらえたショットから映画は始まる。馬の飼い主の父(デルジ・ヤーノシュ)は娘(ボーク・エリカ)と農場で二人暮らし。父は片腕が不自由で娘の介護を受けながら荷馬車を唯一の収入源に何とか生計を立てていたが、連日の強風によって仕事ができなくなり家に戻ってくる。

 陸の孤島とも形容すべき外界から隔絶した父娘の住処。生きていくためには水と食料が絶対必要だ。彼らの家から少し離れた場所には古井戸があり、そこに毎日水を汲みに行くのが娘の日課となっている。汲んできた水で湯を沸かし、木箱に貯蔵したジャガイモ(日本の男爵やメークインとは異なり、ごつごつした形状の大きな品種)を1日1人1個ずつゆで、皮を剥いて塩だけで手づかみで食べる。副食はなし。そんなぎりぎりの生活を続けていたのだが、何日たっても風が止む気配はなく、少しずつ歯車が狂い始める。

 まず馬のパーネンカ(サラブレッドのようなスマートな馬ではなく、脚の太いずんぐりした農耕馬である)が飼葉を食べなくなる。娘が優しく声をかけても微動だにしないたたずまいは、生きることを強情に拒否しているかのようにも見え、タイトルの由来となったニーチェの馬にも重なる。

 そして3日目に通りすがりの漂泊民の一団が井戸の水を求めてやってきて父娘とひと悶着あった翌朝、娘は井戸が涸れているのを発見する。それを聞いた父はここから出てゆくことを決断し、娘に荷物を馬車に乗せるよう指示して出発するが、肝心の馬が役に立たないためすぐに引き返す羽目に陥る。

(以下、結末に触れておりますので未見の方はご注意ください)

 水が残りわずかとなり死を間近に感じ始めた5日目、突如として暗闇が訪れる。急いでランプを点けようとするものの火種すら失ってしまい言葉を失う父娘。そして6日目、風は止み静寂があたりを包み込む。暗闇の中、テーブルを囲む父娘がぼんやりと映し出される。テーブル上には例のジャガイモが生のまま1個ずつ置かれている。火と水を失いゆでることもできなくなったそれを父はいつものように自由な方の手で皮を剥き「食べねばならぬ」と口に運ぶ。そのかじる音は「創世記」においてアダムとイブが食べた禁断の果実とされるリンゴのようでもあった……。

 何とも救いのない話であるが、映画は絶望的な状況に追い込まれながら食べる、寝る、働くといった日常の営みを黙々と続ける父娘の姿を長廻しで2時間半追い続けることで不思議な緊迫感をもたらしている。とくにジャガイモは命をつなぐ唯一の糧として、最後まで生きることに執着した父とその逆の馬との対比も含め、人間の原罪の意味をも考えさせる重要な小道具となっている。

 映画を観終えてプレゼントの意味を察した私は、家に帰って生のジャガイモの皮を剥き齧ってみたのだが、到底食えた代物ではなかった。

作品基本データ

【ニーチェの馬】

公式サイト
http://bitters.co.jp/uma/

原題:A torinói ló
製作国:ハンガリー、フランス、スイス、ドイツ
製作年:2011年
公開年月日:2012/2/11
製作会社:TT Filmmuhely
配給:ビターズ・エンド
カラー/サイズ:モノクロ/ヨーロピアン・ビスタ(1:1.66)
上映時間:154分
◆スタッフ
監督・脚本:タル・ベーラ
編集・共同監督:フラニツキー・アーグネシュ
共同脚本:クラスナホルカイ・ラースロー
プロデューサー:テーニ・ガーボル
撮影監督:フレッド・ケレメン
音楽:ヴィーグ・ミハーイ
◆キャスト
馬の飼い主・父:デルジ・ヤーノシュ
娘:ボーク・エリカ

(参考文献:キネマ旬報映画データベース)

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映画ウォッチャー 埼玉県出身。子供のころからSF映画が好きで、高校時代にキューブリックの「2001年宇宙の旅」を観たところ、モノリスに遭遇したサルの如く芸術映画に目覚め、国・ジャンルを問わない“雑食系映画ファン”となる。20~30代の一般に“青春”と呼ばれる貴重な時をTV・映画撮影現場の小道具係として捧げるが、「映画は見ているうちが天国、作るのは地獄」という現実を嫌というほど思い知らされ、食関連分野の月刊誌の編集者に転向。現在は各種出版物やITメディアを制作する会社で働きながら年間鑑賞本数1,000本以上という“映画中毒生活”を続ける“ダメ中年”である。第5回・第7回・第8回の計3回、キネマ旬報社主催の映画検定1級試験に合格。第5回・第6回の田辺・弁慶映画祭の映画検定審査員も務めた。