脱出は一発逆転ではなく地道な実践が必要
本シリーズの「価格競争から脱出する10の作戦」で、今日の小売・外食における価格競争について、以下のように述べた。
現在、あらゆる業種・業態で値引き競争ないしは低価格実現志向型業態へのシフトが起こり、激化の一途をたどっている。集客のためにさまざまに知恵を絞ってはいるが、ほとんどの場合、誰にでも伝わりやすく、他社・他店と比較しやすい低価格路線を選び、結果として価格競争に巻き込まれ、その渦からから脱出することができない。
「価格競争からの脱出」には以下の項目を、「地道に、確実に、一貫継続して実践する」ほかないと筆者は考えている。
具体的な適用方法の組み合わせ方や、実施の方法はケース・バイ・ケースでさまざまだが、ここではその主要な項目だけをまとめて列記する。
1.強力なブランドの構築
2.高質な販売環境の整備
3.顧客視点経営の実践、顧客視点に基づく凡事の非凡な底
4.価格で売らずに価値で売る考え方の理解・意識の変革と実践
5.モノで売らずにコトで売る=コト売りマーケティングの実践
6.独自性=学ぶが真似ず、他社との比較から物を考えない
7.顧客と販売店とメーカー(サプライヤー)の3者間のWin-Win-Winの関係、絆の形成
8.アフターセールスサービス(A/S)の充実と、それを通しての顧客との長い関係、絆の構築=長期に及ぶ良好な人間関係の構築
9.総市場の動向に振りまわされず、自社にとっての市場の存在を確信した、自社にとっての新規需要開発に主眼を置く、マーケットにおける徹底的な新規需要の開拓努力
10.成長実現のために必要と考える「M&A等の経営手法の実行」
以上を念頭に、筆者の経営の経験から、改めて“価格競争からの脱却”について幅広く考え、その実現方法を提言したい。
1960年代の“価格破壊”と今日の値下げ競争は意味が違う
さて、1990年代初頭のバブル崩壊までは、価格問題は基本的には経営上の大きな問題ではなかった。
日本が敗戦後の落ち込んだ生産力を回復させ、「日本の経済成長と近代化」にかなりの回復と自信を示し、経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言したのは1956年であった。
その後日本経済はいく度かの景気/不景気の循環を繰り返しながらも、長期的に見れば一貫して成長を達成してきたと言える。
この間、山を1957年とする神武景気、以下同じく1961年の岩戸景気、1964年のオリンピック景気、1970年のいざなぎ景気、1973年の列島改造景気、1977年の安定成長景気、1980年の公共投資景気、1985年のハイテク景気、1991年の平成景気等と言われる好景気があった。山と山の間は谷であったが、比較的短い期間で回復に転じる循環型の景気変動を持続させた。
そして、その過程で新しい技術を続々と開発し、生産の合理化を実現し、生産規模の拡大を果たし、雇用を拡大し、輸出も増えるという、恵まれた戦後の経済発展を経験することができた。
1956年から1973年までの間は平均年率9.1%の成長、1974年から1990年の間においてもまだ年平均成長率は4.2%の経済成長を持続できた。
戦前までは、国民の多くは貧しく資産も少なかったが、戦後の経済成長、企業の発展の中で、安定した職場を終身雇用の形で持つことができた。所得も年々増大し、購買力も拡大するという、いわば長期的な連続する好景気の中で、有り余るほどの新商品があふれる市場で、価格にこだわるよりは、新しくてよい品物を求め続けて購買し続けてきたと言える。
「いいものが有れば売れる」と言う時代であった。
1960年代からは、城山三郎が著した「価格破壊」(1969年・カッパブックス)の姿を目指す新しい商流作りも確かに発展し始めていたが、その当時の「価格破壊」とは、より安く、よい品物を、より多くの人に届けることに主眼が置かれており、より豊かな生活の普及を追求しているものであった。今日のような生活維持・防衛の必要性から求められている“価格破壊”とはかなり違った側面を持っていたと考えられる。