「Fried Bananas」という曲についての考察。音楽の話題ですが、料理、商品開発、そして店舗運営にも通じるものがあるところを感じ取っていただければ幸いです。(編集部)
渡欧するジャズメン
「最近はバナナというとフィリピン産ばかりだけど、昔の台湾バナナは本当に甘くてうまかったんだ」――30年以上前の話だが、高校の地理の時間に恩師がしみじみと語っていたことを今でもときどき思い出す。
1960年代まで日本においては主流だった台湾バナナ。バナナの生産地としては台湾が北限であるらしく、フィリピン等の熱帯で通常8カ月のところを12カ月以上かけてじっくり栽培されるため甘味が凝縮されるという。
恍惚とした表情で回想する恩師にとって、当時高級品だった台湾バナナは格別の“甘い思い出”なのだろう。
今回取り上げる一曲「Fried Bananas」は、豪放なブロウが身上のテナー・サックス奏者、デクスター・ゴードン(Dexter Gordon、1923年2月27日~1990年4月25日)作のオリジナルである。
デクスター・ゴードンと言えば、映画「ラウンド・ミッドナイト」(1986年・米仏合作)の主演男優として(何とアカデミー賞ノミネート!)、盛りを過ぎたジャズ・ミュージシャンを好演したことでも知られる。1959年のパリを舞台に、ミュージシャン役にはすべてリアル・ジャズプレイヤーを起用。フィクションを遥かに超えたリアリティがこの映画の最大の魅力だ。
かくいう私も22歳の誕生日に、歌舞伎町の映画館のオールナイト上映で本当に朝まで見続けた……というほど思い入れもたっぷりである。
ストーリーを駆け足で振り返ってみる。
1940年代から50年代に活躍したジャズメンたちの全盛期が過ぎ、その多くがヨーロッパに活動拠点を移していた50年代末から60年代。伝説のテナー・サックス奏者デイル・ターナーもまたパリのジャズクラブに出演し、アルコール依存症に苦しんでいた(モダン・ジャズピアノの第一人者、バド・パウエルがパリに居を移していた時期のエピソードがそのモデルとなっている)。
デイルの音楽を愛するグラフィック・デザイナーのフランシスはデイルを自分のアパートに住まわせ、愛娘のベランジェールとともに献身的なサポートを続け、ついにデイルの音楽は全盛期の輝きを取り戻していく。そしてアメリカのプロモーターからのオファー。伝説のジャズメンのカムバック、ニューヨーク公演は大成功……。
しかしデイルは迷った挙句にパリには戻らず、そのままニューヨークに留まってしまう。そして、ほどなくパリのフランシスのもとに1通の悲しいエアメールが……。
デクスター・ゴードンもまた同時期にヨーロッパで活動しており(1962年渡欧)、コペンハーゲンでのライブ盤をはじめ現地レーベルから多数アルバムをリリースしている。デンマークのジャズクラブのマスターであったトルベン・ウルリッヒと親しくしており、その息子がメタリカのドラマー、ラーズ・ウルリッヒだという。
ちなみに映画の中で使われているデックスのオリジナル「Tivori」は、デンマーク・コペンハーゲンのチボリ公園のことである。この映画の持つ強力なリアリティは、その時代を生きたミュージシャンが演じることでしか生み出せなかったのかもしれない。
伝説のジャズメン、デイル・ターナーのオリジナルとして演奏されるのが、音楽監督兼ピアニスト役で出演したハービー・ハンコックのオリジナル「Chan’s Song」である。ニューヨークでのカムバック公演で娘のチャンの前で演奏されるこの曲は、時代考証的に見ると作風がかなり新しいのだが(映画のオープニングとエンディングに使われているので実質的には主題曲という事情もある)……架空の天才のインスピレーションと考えればギリギリセーフというところか。
スタンダードからオリジナルへ
さて、そのデックスのオリジナル「Fried Bananas」である。モダンジャズ黄金期の空気を感じさせる痛快なナンバーで、それこそ映画の中のどこかで使ってほしかったくらいだ。このオリジナル曲のコード進行は、スタンダード「It Could Happen To You」と同じものであり、ある曲のハーモニーを流用して異なるメロディーをつけるという、いわゆるコントラファクト(contrafact)という手法によるものだ。
平たく言えば既存のコード進行の替え歌である。コントラファクトという言葉は模造品のようなニュアンスも感じさせるのだが、コントラファクトによる有名曲は実例を挙げていくとキリがないほど多く、一部流用を含めるとあらゆる曲が何かしらに当てはまるのではないかと言えるくらいで、ジャズというジャンルにおいては流用パーツを使うことにむしろ積極的ですらある。曲作りそのもの、中でも歌詞の言葉選びに心血を注いでいるシンガーソングライターや、何を歌ってもメタルにしなければいけない縛りのあるへヴィメタルバンドの作曲担当メンバーと比べた場合、ちょっと申し訳ないくらい場当たり的ですらあるように思える。
台湾産だろうが、フィリピン産だろうが、エクアドル産だろうが、5本100円でおつりが来る安いものから千疋屋の贈答用の高級品に至るまで、バナナはバナナだ。ジャンルは何であれ、手法はどうであれ音楽は音楽なのだが……。
食のサイトなのでもう一つ付言すれば、料理も素材を焼く、蒸す、煮る、揚げるなどの基本的な調理の手法はほぼ万国共通で、それぞれの料理の違いはそれにどのような味を合わせるかということだろう。
ことジャズの場合、他のジャンルとはクリエイティビティの使いどころがちょっと違っている、と言えばわかってもらえるだろうか? ライブ演奏におけるアドリブ、それもソロと伴奏も合わせての即興性に各プレイヤーが創造力を注ぐジャンルなので、オリジナル曲といえども土台となるコード進行はアドリブのための素材でさえあればいいのだ。必ずしも当てはまらない曲、当てはまらない場面も多々あるが……。
「Fried Bananas」の場合、スタンダード「It Could Happen To You」のコード進行の上で、冒頭のテーマメロディから十八番のプレイスタイルでゴリゴリにブロウすることこそがこの曲の本質なのだ。
タイトル中のバナナの意味
しかし、「Fried Bananas」というタイトルは、別な想像力もかき立てる。揚げるバナナとは、近年料理用バナナとしてエスニック料理店等でも目にするようになったプランテーンだろう。中米、アフリカ、東南アジアなどプランテーンを食べる地域では、これはフルーツではなく主食、日々の糧としてのバナナである。もしそれにソウル・フードに近いニュアンスがあるとしたら……。
オリジナルと言っても、いわば演奏用テンプレートであるコントラファクトもののタイトルに深い意味があるとも思えないのだが……。
ヨーロッパ中を回ってジャズクラブに出演する日々、すでにこの時代のヨーロッパにもジャズファンは多かっただろうから、どこへ行っても歓迎され音楽に敬意を払ってくれたに違いない。自分の音楽が受け入れられ、日々の糧が得られる喜びを感じる一方で、異国住まいの疎外感、いつ帰れるのかわからない不安と寂しさも感じていたのではないだろうか。そんな中で、アフロ・アメリカンとしてのアイデンティティを鼓舞するために「Fried Bananas」を選曲した夜もあったかもしれない。
映画「ラウンド・ミッドナイト」のラストシーン。デイルと共に暮らしていた日々を記録した8ミリフィルムを見ているフランシス、デートにでも出かけるのか薄化粧したベランジェールがその様子を覗き込む。ベランジェールがポツリとつぶやくデイルの残した象徴的な言葉……。
“Do You Like Basketball?”
バスケットボールはアメリカを象徴するスポーツ……。デイルは、バスケットボールを見たことがなかったであろう小さい頃のベランジェールにそう問いかけた。伝説のジャズプレイヤーのヨーロッパ時代は、ホームシックとの闘いだったのだろう。