猛暑がどうにか一息ついた2016年8月28日。リンゴの発泡酒シードルの五か国の輸入業者と国産業者が一堂に会する「Tokyo Cidre Collection」が東京で開催された。
日本初のシードル・イベント
日本では洋酒のイベント自体は特段目新しいものではない。ここのところ、季節を問わず開催されるようになったオクトーバーフェストのビールがあるし、ボジョレー・ヌーボーをはじめとする各種のワインイベントも多い。その他、ウイスキーはもとよりテキーラ、ラム、カクテルに至るまで、特定の酒に特化したイベントが昨今は毎月のように開催されている。
しかし、リンゴの発泡酒シードルのみのイベントはこれまで聞いたことがない。おそらくこれは日本初のイベントで、いかにそれが画期的な出来事だったかを物語るように、筆者は来場前から前代未聞のハプニングに見舞われた。
お盆を過ぎてそろそろチケットを注文しようかと「Tokyo Cidre Collection」のチケット購入ページにアクセスしたときだった。数日前には「残りわずかです」とあったWebページに、「完売です」の無情のメッセージが表示されている。このままでは日本初の記念碑的なイベントをわずか数日の差で見逃すことになりかねない。周囲の善意を頼ってどうにか手に入れたチケットを握りしめた筆者は、池袋の繁華街を抜けた小さなビルの地下に降りた場所にある会場にたどり着いた。
売れっ子の酒場ライター嬢から「最近、シードルが熱いって聞きましたけど、そうなんですか?」と尋ねられたときは正直返答に窮した。職業柄、流行に人一倍敏感なアンテナを張っているはずの彼女でも知らない潮流の最先端事情を、幕末やら戦前の洋酒話ばかりを書いている筆者が答えられるわけがない。そんなに、いまシードルは“熱い”のだろうか。
会場となった「Tokyo Share Dining 1K」に続く地下への階段を下りる。広さは中学校の教室を2つ合わせたぐらいの広さだろうか。決して広くはない会場に主催者発表120名の来場者と30名のスタッフや応援のバーテンダーがひしめいている。
主催者である東京シードルウィーク&コレクション実行委員会によれば、開催の1週間以上前にはチケットが完売となり、結果的に何十人ものキャンセル待ちが出たという。2部構成で150人、総計300人まで増やそうかという声も挙がったものの、これ以上入場者を増やすと不測の事態が起きかねない。結果的には250名に留めたという。お断りするしかなかったという話も聞いた。
老舗ニッカがスーパー、コンビニへの展開始める
会場の人波をかいくぐりながら、まずは日本のシードル業界では草分けとも言えるニッカのコーナーに声を掛けた。
昭和31(1956)年に発売を開始した「朝日シードル」の時代から半世紀以上にわたってシードルの小さなともしびを守り続けてきたニッカのシードルは「ふじ」を原料としている。「紅玉」や「トキ」など別品種のシードルも期間限定で発売してマンネリ化を防ぎつつ、虎視眈々とブームが来るのを待っていた、その思いやいかに。
アサヒビール株式会社マーケティング本部の山田知人さんによれば、待ち望んだシードル・ブームの足音が近付きつつある手応えは感じているという。天然果汁100%で副原料は糖分さえ加えていないことと60年の伝統を、9月からのコンビニ展開で訴えていくと言う。
次にお話をうかがったのは今回のシードル・ブームの立役者となったキリンのコーナーだ。
オシャレなカフェに、陣取りゲームよろしく鮮やかなグリーンの旗を次々にはためかせていたのが、もう3年前の話になる。
「あの頃はまだ“地殻変動”と言えるような底堅い動きがやって来るとは思っていませんでした」
緑の麦わら帽子に葉っぱの付いた小枝をあしらったリンゴ帽の同社マーケティング部の藤田美佳さんは言う。
「弊社がシードルを積極的に展開するきっかけになったのはイギリスの低アルコール飲料ブームでした。若年層のアルコール離れが言われる中、イギリスではワインとその1/5の販売量を持つシードルの販売量は減っていないことに注目したわけです。昨年(2015年)7月〜8月、表参道に1カ月半限定でシードルのポップアップストア(期間限定のアンテナショップ)を立ち上げたところ、表参道と言う土地柄もあってか若い人たち、とくに30代の女性がシードルに興味を持ってくれることがわかりました」
まさか最新トレンドのシードル・レポートを書くなどと想像もしていなかった筆者だが、彼女が話した表参道のアンテナショップに、筆者はたまたま足を運んでいた。彼女と同じ青リンゴ帽を被ったスタッフがキリンのシードルとアイスクリームを模したポテトサラダをシュガーコーンに載せて「ジェラート&ポテト」として提供していたことを思い出す。当時スマホで撮影していたメモ代わりの写真で表参道のストアを確認すると、たしかに店内には若い女性の姿が目立つ。
発売当初は業務用、それも15Lの大樽だけで販売するという慎重な滑り出しだったが「若い」「女性」のイメージが定着してからは7Lの樽と瓶での販売もスタートさせている。今後はスーパー、コンビニにも展開を図るということで、古参のニッカと新興のキリンがコンビニで展開するとコアなファン以外の眼に触れる機会が格段に増えるはずなのでシードル業界にとっては確実に追い風となる。どうやら“地殻変動”は本物らしい。
ブラムリー種の大量供給を待望する中小の醸造元
次に向かったのは最近そこかしこで見かけるようになったインディペンデント(独立)系のシードル・メーカーだ。もとは日本酒の蔵元だったり地域振興のNPO法人だったりで、業態もさまざまだ。
まずは在独領事館の支援を受けて今年の4月にフランクフルトで開催された第8回国際アップルワイン・メッセに日本ブースを展開して国産シードルをアピールしてきた国際りんご・シードル振興会理事長の後藤髙一さんにお話をうかがった。こちらは青森県に次ぐリンゴ生産量を誇る長野県飯田市の有志6人が地元のリンゴを買い付け、同県にある福源酒造にシードル製造を委託したのが始まりだという。
国産シードルの問題点は、日本国内で生食(せいしょく)用のリンゴしか使えないことだという声は会場内のそこかしこで耳にした。海外、たとえばヨーロッパでシードル全消費量の半分以上を生産するイギリスでシードル用に使われるブラムリー種(Bramley)のリンゴは酸味が強い上に渋みもあるため生食には適さないのだが、加熱してもリンゴ特有の香気を失わない特徴があるという。
日本でも1991年から長野県小布施でブラムリーの生産は始まっているのだが、家庭や小規模店でのお菓子作り用ならともかく大量に必要な搾汁用として使える値段ではないと言う。フランス・ノルマンディー地方が誇るシードルの蒸留酒であるカルヴァドスも食用に向かない苦いリンゴを使うことで味に奥行きを出す。今後、国内のシードル市場が安定してリンゴ農家に大量にブラムリー種を生産してもらえるように説得できるかどうか、が日本のシードルの品質向上の一つのカギとなりそうだ。