要するに「いいものが出来る」ということは、作物が健康に育つということだ。健康に育てば、作物の体はしっかりとして、糖度も適度に上がり、しかも病気になりにくい。それを実現するのが、適切な栄養バランスだ。栄養バランスにおかしな偏りがなければ植物は健康に育ちやすいし、逆に栄養バランスがおかしな状態であれば、植物は健康に育たない。
消費者の思い込みが“有機信仰”を助長
そこで改めて銘記いただきたいのは、有機栽培なのか慣行栽培なのかという違いだけで、いいものが出来るか出来ないかは判断できないということだ。「○○栽培」といった栽培方法というものは、きわめてざっくりとしたレシピに過ぎず、そこには管理の上手下手や個々の田畑の栄養の状況などの情報は織り込まれていないのである。
であるにもかかわらず、有機栽培であれば安全であり、おいしく、栄養面でも優れていると、多くの消費者・需用者は思い込んでいる。だから農産物を販売するとき、「有機栽培」と表示すれば売れると考える向きは多い。有機栽培がマーケティングに利用されているのだ。
消費者・需用者の勘違いを正せば、このマーケティングが奏功しなくなる。だから、農産物販売に携わる多くの人は、この種の誤解を温存しようとしているのではないだろうか。
有機JAS前夜のでたらめ有機の氾濫
かつて、有機JASの認証制度が施行されたとき、昔から有機栽培を行なってきた生産者の多くは反発した。自分たちが自主的に行なってきた栽培方法を、行政から規制されるわけであるから当然のことだ。しかし、この有機認証制度が施行されたことは、仕方がなかったと思う。
有機JASがスタートする直前の状況は、かなりひどかった。有機栽培は徐々に広がっていたのだが、消費者・需用者が有機栽培や無農薬栽培を求める勢いが過熱し、「無農薬でなければ買わない」などと言うバイヤーも非常に多くなっていた。その結果どうなったかと言えば、実際には無農薬栽培などというものは生産の現場ではほとんど行われていなかったにもかかわらず、店頭には「有機栽培」「無農薬栽培」と表示された農産物が大量に並ぶようになっていたのだ。
有機栽培であることを認証する民間団体は複数あったが、事実上、誰がどのような作物に「有機栽培」「有機」「オーガニック」と表示しても咎められることはなかった。現在のように原産地表示の義務もなかった。つまり、「『有機栽培』と書かれた段ボールに農産物を詰め込めば高く売れる」という時代だったのだ。
あまりのひどさに、国としても有機認証制度を整備せざるを得なかったというのが実情だろう。
では、現在はどうだろうか?
有機JAS認証制度のお陰で、有機農産物でないものが流通している可能性は、非常に低くなった。有機栽培を行なっているものは「有機栽培」としてきちんと流通されるようになった。
だぶつく有機とマーケッターの台頭
そして、有機栽培は、拡大の一途をたどっている。また、一時の“農業ブーム”のおかげだろうか、他産業からの参入も増え、農業分野が脚光を浴びている。
そこで他産業の経営者や担当者がインタビューなどに答えて、あるいは社員や消費者に向けてのスピーチで異口同音に言ったのが「農業にはビジネス感覚がなさすぎる」ということだ。
筆者も、ビジネス感覚で農業を行うことは、非常によいことだと考えている。ただ、あの“農業ブーム”以来、農業分野にマーケッターが非常に多くなった。有機栽培の拡大と、マーケティング戦略立案者の農業界への流入・関与の増加というのが、同時に起こったのである。かたや、かつては珍しいものの部類だった有機栽培の生産量が多くなれば、「有機栽培」であること自体は商品の特徴・価値としては弱くなる。かたや、そのままでは売れないものを売れるように考える人々の登場である。
この結果、増えてきた有機栽培の中で差別化を図るために、筆者から見ると誇大広告と言わざるを得ない表示や宣伝を行うものが増えてしまった。
そうした流行や派手な販売競争が起こるはるか以前から、地道に有機栽培に取り組んでいた人たちを知っている筆者としては、はがゆい思いを持たざるをえない。
ここで今一度、農産物の表示・広告宣伝について考えてみたい。第22回で、安全、おいしさ、栄養に関する表示・広告宣伝については触れたが、それらとはまた違う種類のものについて検証してみよう。