消費者の間ではよく理解されていないが、農薬はこの50年あまりの間に大きな変化を遂げている。「沈黙の春」(レイチェル・カーソン)が発表された1960年代から「複合汚染」(有吉佐和子)が発表された1970年代の農薬と、今日の農薬とを同じように考えることには無理がある。
現在の農薬は危険性がコントロールされている
まず、これまで述べたような残留性のある化学合成農薬の大部分は、すでに淘汰され、黎明期の農薬に比べると格段に安全になっている。農場で農薬を使用しても速やかに分解して無害になるものが大部分になり、仮に使用時点で一定の毒性があるものでも、それを使用した作物が収穫されて消費者の元に届くまでの間には消失してしまう。農薬メーカーはその分解の様子を調べていて、食品に残留することがないような使用方法を明確に定めている。農業生産者が使用方法を誤らず正しく使えば、農薬による害が起こらないように配慮されているのだ。
自動車、鉄道、飛行機なども、昔のものは今日のものよりも事故は多かった。しかし、それ自体が事故を起こしにくいものになるように設計することが推進され、さらに、正しく運転・操縦する教育で安全性を高めてきた。農薬も、それらと同じようにハードとソフトの両面で改良・改善を行ってきたと言える。
農薬にはとかく危険なものというイメージがつきまとっているものの、現在の農薬は危険性がコントロールされ、有機栽培が提案された時代の農薬が抱えていた危険性のレベルとは一線を画している。使用制限や使用方法に厳密な決まりがなく、残留性も高かった時代の農薬とは全く違うものだ。
なお、農薬のについて知りたい方は、以下のサイトが非常に有効です。だれにでもよくわかるような解説が書かれています。農薬についての基本と最新の事情については、「農薬ネット」が詳しく、役立つ情報が多いのでぜひ参考にされたい。
課題によって手段の評価は変わる
ところで、かの有名なDDTは現在の日本では使用されていないが、開発途上国には今でも使用されている国・地域がある。DDTは、製造が容易で安価、しかも効果が長続きする(残留性の高さは使用上のメリットととらえられることもある)ために、開発途上国でのマラリア対策に使用されているのである。これにより、いくつかの国ではマラリアは撲滅され、その他の国でも大幅に減少している。
日本で禁止したような農薬が開発途上国で使用されている状況というのは示唆に富む。日本人の死因の上位は、がん、心疾患、脳出血などで、国民の関心も国の疾病対策もこれらの対策に主眼がある。ところが、国によってはそうした疾病よりもマラリアによる死亡の危険のほうがはるかに身近で、国が解決すべき課題としてマラリア対策の優先度が高い国があるのだ。そうした国では、DDTを使用することによって長期的に発生し得る問題よりも、マラリアという“今そこにある危機”への対応がより重要であり、この場合、
DDT使用で得られる利益(ベネフィット) > DDT使用の危険性(リスク)
という不等式が成り立つわけである。この不等号の向きは日本では逆になる。つまり、農薬など特定の薬剤なり手段のベネフィットとリスクの関係は絶対的なものではなく、地域や時代によって変わり得るということだ。
また、人間の疾病に対して使用する医薬品は、いつでも誰に対してでも同じ効果を現すというものではない。人の健康のために働く医師・薬剤師が処方する薬でも、それぞれの患者の個性や病状によって効いたり効かなかったり、あるいは期待する作用よりも副作用のほうがはっきり現れてしまって返って健康を害し、死に至らしめるということはあり得る。量や使い方が重要なのは言うまでもないが、それらは相手によって同じではないという点が重要だ。だから、患者をよく観察し問診した上で、ある薬のベネフィットとリスク(副作用)を天秤にかけ、この患者の場合ベネフィットが高いという場合に処方するわけである。
これは、農薬でも全く同じことだ。農薬にも副作用に当たるものはあり、時と場所と対応すべき状況を見て、薬剤の種類を選び、そもそも使用か不使用かを考え、使用量や使用方法を判断しなければならない。そのプロセスで、ベネフィットを最大化する努力が行われるのだ。